2013-02-25
レディオヘッドのデビュー作から20年 プロデューサーが明かす誕生秘話


Photo: Bob Berg/Getty Images
レディオヘッドのデビュー・アルバム『Pablo Honey』が発表されてから、2月22日で20年が経過した。ブレイクのきっかけとなったシングル「Creep」が収録されていたとはいえ、同作は控えめに言っても、のちの彼らのサウンドを期待させるような作品ではなかった。(写真=1993年に撮影)

唯一レディオヘッドらしくないレディオヘッドのアルバムであり、その後の彼らがアーティスティックな大躍進を遂げたこともあり、最も見落とされがちな作品となった『Pablo Honey』の二十歳の誕生日を記念して、MTV Newsは同作を手掛けたプロデューサーのポール・Q・コルデリーとショーン・スレイドに、当時を振り返ってもらった。

「ショーンと僕はアメリカにいながら、ダイナソーJr.やバッファロー・トムなど、僕らが手掛けた作品はイングランドでの方が人気があった。それで、“イングランドに行って仕事してみよう”という話になったんだ」とコルデリーは語った。

「マネージャーが当時EMIにいたニック・ガットフィールドとミーティングを設定してくれて、彼から“レディオヘッドっていうバンドがいて、僕らは彼らの作品でギターサウンドを増したいと思っているんだけど、興味ある?”と言われたんだ。初期のデモを2曲ほど聴かせてもらったら、トムの歌声が素晴らしかったから、“いいね、やろう”ということになった。僕らは仕事を探していて、彼らはギターに精通するプロデューサーを探していたというわけさ」

「そこでレディオヘッドと会ったのだが、初めて会った時は信じられないほど若いという印象を受けたことを覚えている。彼らは大学を卒業したばかりで、しかもパブリックスクール(私立の中等教育学校)の頃からの友だち同士だった」とスレイドは加えた。

「だから、彼らの仲の良さはよく分かったよ。正しい理由で活動しているバンドだった。友だち同士で、お互いを愛していて、一緒に音楽を作るのが大好きでね。初期のデモでさえ、そういったことが聴き取れたんだ」

最初のミーティングを経て、コルデリーとスレイドはEMIの重役に聴かせる曲を2曲、バンドと一緒にレコーディングすることに。それは事実上のオーディションだった。どちらの曲もさほどの印象を与えることはできなかったが、即興で演奏した3曲目は違った。それがその後にすべてを変えることになった「Creep」だったのだ。コルデリーとスレイドは、同曲が彼らのオリジナル楽曲だということに気づいていなかったという。

「演奏した時、トムがぼそっと“今のは僕ら流のスコット・ウォーカーだ”と言ったんだ。でも、僕は “今のはスコット・ウォーカーの曲だ”と言ったのだと聞き違えた。当時の僕はスコット・ウォーカーに詳しくなかったし、スタジオを出る時にスレイドが、“ワォ、あのカバー曲は最高だったな”とか言っていたしね」とコルデリーは笑った。

「それだけに、数日後にスタジオで猛作業中、あまり良いテイクが録れずに苦労していた時に、“気分転換に、あのスコット・ウォーカーの曲をやってみたら?”と言ったんだ。それで彼らがあの曲を演奏した。1度だけ演奏したんだけど、僕はその日の終わりにEMIのA&Rに電話して、“もう1曲あるんだ。この曲はやってみる価値があると思う”って伝えたよ」

当然のことながら、EMIもプロデューサー陣に同意した。だが、彼ら(そして他の多くの人たち)は、「Creep」のトレードマークでもある、ジョニー・グリーンウッドのかき鳴らすギター・フレーズ(バンドは“ザ・ノイズ”と読んでいた)に難色を示したという。

「とてもプロフェッショナルなプロデューサーの方々から、僕らがあのパートをキープしたことを称賛されたよ」とスレイドは述べた。「もちろん、僕らはキープしただけでなく、みんなの顔面をパンチできるくらい爆音にしたんだ。冗談抜きで、“ザ・ノイズ”は楽曲そのものと同じくらい有名になった」

当時はまだ若かったメンバーたちだが、高い目標を掲げてスタジオ入りしていたことを2人は記憶している。バンドは自分たちに影響を与えた全てのインスピレーションを受け止め、それ以上の作品を作りたいと考えていた。

「心の奥底にある真剣さが伝わってきたよ、特にトムからね。目的の真剣さ、そしてちょっとユニークな音楽を作りたいという真剣さだ。U2、ライド、ソニック・ユースなど、彼らはさまざまな影響を受けていた。彼らは常に模索していた」とスレイドは振り返った。

「ある朝スタジオ入りしたら、誰かがまるで(デイヴ・)ブルーベックのようなジャズ・ピアノを弾いているのが聴こえてきたんだ。“すごい、誰が弾いているんだ?”と言ったら、ジョニーだった。彼らがとても才能のあるバンドだということはかなり明確だった」

バンドはセカンド・アルバム『The Bends』(コルデリーとスレイドがミックスを担当)で才能をさらに開花させ、その後の活躍は語るまでもないが、それでも2人にとって、『Pablo Honey』は特別な作品なのだという。

「彼らとの作業はとても楽しい思い出なんだ。スタジオは廃校になった学校の校舎のような場所で、僕らは映画を観たり、夜更かししてホットエールを飲んだりしていた」とコルデリーは語った。

「セックスやドラッグが絡んだ、破天荒なエピソードはないんだよ…いつも雨で寒かったんだけど、ある日の午後1時頃に太陽が出てきたんだ。赤々と燃え上がる美しい太陽で、みんな外に走って出て行き、シャツを脱いで日光浴した。レディオヘッドが上半身裸なんて、今振り返ると笑えるけど、当時はただ楽しかったんだ」

「アルバムが完成した時、彼らは本当に素晴らしいバンドになるだろうと思ったものだ。でも、まだ若くて肉体的にハンデがあった。それで、“もしこいつらがしばらくツアーに出て、スタミナをつけてたくさんライブをこなしたら、完全に生まれ変わるだろう”と思った」とスレイドは加えた。

「そしたら「Creep」が大ヒットして、それが実現したんだよ。彼らは1年半のツアーに出たんだ。彼らの素晴らしい一歩は、長いツアーによって肉体的に生まれ変わったことだと思う。最高のバンドに生まれ変わったんだよ」

MTV News