
Photo: Kevin Winter/Getty Images
ラッパーのエミネムが、10日に全米で放送されたテレビ番組「60 Minutes」に出演した。
番組ではニュースキャスターのアンダーソン・クーパーに故郷のデトロイトを紹介。映画にもなった市内の「8マイル」を歩き、幼少期について、作詞活動について、子育てについて、どん底からの復活について、赤裸々に語った。
長年に渡り、リリシストとして経験を積んできたエミネムは、クーパーを自身のスタジオに招き、英語での作詞に関する定説を否定した。
「“オレンジ”という言葉は、他のどの言葉とも韻を踏むことができないなどと言う人がいるが、頭に来る。俺は“オレンジ”と韻を踏む言葉をたくさん思いつくことができる」と断言したエミネムは、例として“ストレージ”(収納)や“ポーリッジ”(粥)などを挙げた。
9年生(日本の中学3年生にあたる)で3回留年し、その後、ハイスクールを退学したエミネム。成績は悪かったものの、英語だけは常に得意だったと明かし、語彙を増やすために辞書を読んでいたことを明かした。番組では、リリックが走り書きされたメモでいっぱいの大きな箱も紹介している。
ラッパーとして世界中のリスナーを魅了し、グラミー賞まで受賞したエミネムだが、子供の頃はいじめに苦しんでいたそうだ。
「1年に2、3回は転校していた。それが多分1番キツかった部分だな」とエミネムは引越しが多く落ち着かない子供時代を振り返った。「トイレでボコボコにされ、廊下でボコボコにされ、ロッカーに押し付けられた。そのほとんどが、ただ転校生だったっていうだけで」。
その後、家庭環境の悪さや、アンダーグラウンドのヒップホップ・シーンに出入りする唯一の白人というステータスにもかかわらず、エミネムはヒップホップに癒され、自身のラップの才能に気づいていった。
「ヒップホップは昔も今も、自慢やうぬぼれだよ。“俺はお前よりイケている、あれだってお前より上手いんだ”ってことさ」とエミネムは述べた。
「こっちのガキは俺よりたくさんの女がいて、良い服を着ているかもしれない。でも俺みたいに、こんなことはできないんだ。今、俺が書いていることを書くことはできない」。
エミネムはまた、アンダーグラウンド・シーンで活動していた頃、白人であることに苦労したと明かした。
「確実に反逆的な若さゆえの激情があった…俺の中にね…そして、白人だという事実からは逃げられないということ。(ヒップホップは)圧倒的に黒人の音楽で、みんなから“お前はよそ者だ、その肌の色では成功しない”って言われる」とエミネムは語った。「そうなると、そういった人々に自分にもできるんだってとこを見せてやりたくなる」。
白人であることは、自身のリリックへの批判にもつながっているとエミネムは信じている。他の多くのラッパーたちと同じ言葉を使っているのに批判されるのは、自分が白人だからだと感じているのだ。
「攻撃されている気分だったよ。特別視されて、“俺の肌の色のせいか?他の人よりも注目されているからか?”って感じだった」とエミネムは振り返った。「俺が言っていることと同じことを言っているラッパーは他にもいるのに、彼らが何かを言われるのを聞いたことがないよ」。
エミネムは母親との緊迫した親子関係をリリックに綴ってきたが、赤ん坊のときに姿を消したまま、一度も会ったことのない父親について語ることはあまりない。
「もし俺の子供たちが地球の反対側に行ってしまっても、俺は探すだろう」と彼は述べた。「絶対にそうするよ。金も何もなくたって、俺は子供たちを探し出す。そんなの言い訳にならないよ」。
楽曲では放送禁止用語を連発しているが、自宅では子供たちの言葉遣いに厳しいのだという。
「俺は娘を持つ親だ」とエミネムは説明した。「家の中を歩き回って、“ビッチ、片付けろ!”なんて言っていたら、一体どんな奴だよ?俺の家では淫らな言葉は禁止だ」。
エミネムはさらに、1年前に薬物過剰摂取で倒れた時は、あと2時間で死ぬところだったのだと明かした。また、薬物を断ってから初めて立ったステージは、ジェイ・Zとのスタジアム・ツアーだったそうだ。ステージでの快感や、ファンからの愛情を感じることに飽きることはないという。
「次第に慣れるなんていうアーティストもいるかもしれないが、それは多分嘘だよ」とエミネム。「ワクワクするはずだ。これだけたくさんの人や彼らの顔を見て、圧倒されないわけがないよ」。
MTV News