無風でドパーフェクトな日もあれば 当然さ It’s like 人生さ だから Catch the wave, 感じて 合致して負けないで
ピーカンなのにフラットもあるのが 辛く苦しい時があるから笑顔になれるんだ その手をあわせて みんなだって悩んで
と、いきなり『Catch The Wave』の歌詞であるが、もちろん、その出目において、ラップという表現手法が歌詞のメッセージ性を大事にしてきたという経緯があるが、「今の若者たち」は、総じて「説教臭い」メッセージに拒否反応があるはずなのに、音楽の「歌詞」だとすんなり受け入れられるのはなぜだろうか。 社会学者っぽく総括すると、1960年代以降の音楽文化の拡大は、基本的には、「言葉」に代表される「論理の世界」に対する不信感を代弁していたところがある。つまり、それまでの大人世代がしてきた、「言葉」を使って理屈を組み立てることより、より五感で体感できる「フィーリング文化」(「死語」でご免!)へと移行していったのである。 その過程で「歌詞の意味世界」は意図的に軽視され、極端に言えば「音としての言葉」に成り下がってしまったのである。それが、音楽的にも商業的にもひとつの美学にまで高められたのが、サザン(オールスターズ)の桑田ワールドということになる。 ところが、90年代になってから、ある種の「自分探し」のとっかかりとして「歌詞」の世界への関心が強まっていった。偉そうに説教たれる先生や親の言葉だとむかつくけど、心地よい音の響きが心のバリアを取り去ってくれ、そこに、たとえば「負けないで」というメッセージがさりげなくしみこんで来るのである。 また、Def Techの歌詞世界はある面で、英語部分のスピード感と、日本語部分のベタなメッセージ性が巧みにブレンドされており、その絶妙なバランスが大きな魅力なのである。
今回ご協力いただいた稲増龍夫教授とは・・・ 法政大学社会学部教授。東京大学大学院社会学研究科修士課程修了。専門分野はメディア社会学。著書に『パンドラのメディア〜テレビは時代をどう変えたのか』など多数。趣味はレコードやCDの収集、テニス。 ホームページはこちら http://www.inamasu.com/