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『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』アン・リー監督 来日インタビュー

2013-01-25


『ブロークバック・マウンテン』でアカデミー監督賞に輝いたアン・リー監督の最新作『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』が、本日(1月25日)より全国で公開中だ。原作はブッカー賞を受賞した世界的ベストセラー小説「パイの物語」(ヤン・マーテル著)で、海で嵐に見舞われ、ただ一人生き残った少年パイが、一頭のトラと共に小さな救命ボートで大海原を漂流した227日を描いている。

映像化不可能と思われた奇想天外な物語を3Dを駆使して見事にフィルムに収めたリー監督が、「パイは全ての人を表している」と語るとおり、今作の圧倒的な映像美の奥には、多くの心を揺さぶるであろう哲学的なメッセージが織り込まれている。公開を前に来日した監督がMTV Newsの取材に応じ、作品の見どころや撮影秘話を明かした。映画は2月に発表される第85回アカデミー賞で、作品賞、監督賞を含む計11部門にノミネートされている。



—今回は『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』を携えて来日してくださって、どうもありがとうございます。

アン・リー監督(以下、監督): 喜んで!日本に来るのは大好きだよ。

—今作は視覚的にも精神的にも得るものの多い作品でしたし、まるでパイとトラのリチャード・パーカーと共に、自分もボートに乗って漂流しているような気持ちになりました。

監督: どうもありがとう、それはうれしいね。

—原作を読んだ時に映画化は不可能だと思ったのですが、見事に映像化されていて感動しました。よく「子どもと動物とは仕事をするな」と言われますが、今作には子どもや動物に加えて、大量の水や宗教問題、さらには3D技術と、難しい要素が詰まっています。監督はなぜ今作に挑もうと思ったのですか?

監督: この物語のとりこになってしまったんだ。僕自身、原作を読んだ時は、映画化は到底無理だと思った。それなのに映画化の依頼を受けてから、気になって仕方なかったんだ。取りつかれてしまったんだよ。できれば忘れたかったし、「僕の邪魔をしないでくれ!」という気分だった(笑)でも、なぜか考えるのを止められなかった。今作には難題がぎっしり詰まっているけれど、僕はある日、もし別の次元を使ったら可能性が広がるのではないかと考えた。3Dなら可能かもしれない、とね。僕はときどき、そんな風にひらめくんだ(笑)

—そのような難題の詰まった作品において、最も大変だったことは何ですか?

監督: 最も難しかったことは、どのように物語をまとめるかだったように思う。特に最後のシーンで、観客が映画の世界から冷めることなく、彼にどのように物語を語らせるか、という部分がとても難しかった。原作の本質は、人間が持つ想像力の素晴らしさにあると思う。しかしフィルムメーカーとしての僕らは、感情的な要素や映像に頼ってしまいがちだ。だから今作はある意味、非常に映画向きではない作品なんだと思う。僕は最後のシーンで長いこと行き詰まってしまった。何度か撮り直しをしたぐらいだよ。書き直しではダメなんだ。それよりも、俳優を使っていろんなことを試す必要があった。

全ては彼らの演技のおかげだよ。役者が台詞にいかに没頭しているか、どのように台詞を話すか…それはとても難しいことなんだ。パイは全ての人を表しているから、役者は万人のために哲学的な台詞を代弁しなければならないわけだからね。彼は指導者のような話し方はしないし、とても一般的に話をするんだ。でも、映画であるからには感情を表現し、人格化しなければならない。僕はもう少しで今作を完成できないところだったよ(笑)だが、あるテイクを観た時に「これだ」と思ったんだ。台詞の言い方も完璧だったし、全てが完全だった。スラージ・シャルマが素晴らしい役者であるということだけでなく、たくさんのオプションを試すことが必要だったんだ。トライ&エラーの繰り返しだよ。3Dに関しては誰からもアドバイスをもらうことができなかったし、とにかく試し続けるしかなかった。


3000人以上の中から選ばれたスラージ・シャルマは演技初体験。当時は高校生で、撮影セットで18歳の誕生日を迎えた。

—3Dや視覚効果といった最新技術はもちろん素晴らしかったですが、おっしゃるとおり、今作では役者の演技力が本当に素晴らしかったです。特に今作が演技初体験だという16歳のパイを演じたスラージ・シャルマさんが印象的でしたが、何か撮影中に印象に残っているエピソードがあれば教えてください。

監督: 僕は彼に会った瞬間、パイだと感じたんだ。それが彼を抜擢した最大の理由だよ。当初、僕の中にはパイの具体的なキャラクター設定がなかったのだが、スラージに会って、どのように映画を作っていくべきか分かった。彼は深い瞳の持ち主で、ソウルフルなルックスをしている。プロの監督として、カメラ映りも良いだろうと思った。そこでテストをしてみたところ、役者としても天才肌だと分かった。ある状況を与えられると、そこから抜け出せなくなるような貴重な才能の持ち主なんだ。彼の思い込みの能力はとてつもないものだよ。パイが独白するシーンの台本を読ませると、最後には泣き出し、震え出した。僕は金山を掘り当てたのだと確信したよ(笑)

特に印象的だったのは最後の3ヶ月。僕にとって、それは非常に特別な体験になった。スタントは使わず、全てのシーンに映っているのは他の誰でもない彼だ。彼は弱音も吐かず、ケガもせず、病気にもならなかった。もしケガでもしていたら撮影できなかったわけだが、彼はとても頼りになる役者だった。最後の3ヶ月は順撮りしたから、パイの旅と並行して、彼はどんどん痩せていった。現場では誰にも彼と話をさせず、わざと孤独にした。彼は少しずつスピリチュアルになっていき、頬はこけ、目は落ちくぼんで、内なる狂気と闘っていたよ。それは17歳の少年にとって、とても大きな試練だった。クルー全員、撮影全体が彼を頼っていたからね。

僕が彼に伝えたのは、「言うとおりにやればいい、でも、いつでも応じられる準備はしておいてほしい」ということ。毎日現場入りしたら、パイを演じる準備をしておいてほしい、とね。見事にやり遂げた彼を見て、本当に感動したよ。彼は素晴らしい若者だ。撮影前の3ヶ月間の訓練で、僕は彼に演技の個人指導をした。それにデリーで育ち、1度も海を見たことのなかった彼は泳げなかったから、水泳のレッスンも必要だった(笑)決して最も自制心の強いタイプというわけではないが、映画人としての素質が感じられる。現場に入るとアドレナリン・ラッシュを感じて、ハイになるんだ。天才肌だよ。

彼を演出していると、まるで小さなブッダのようで、僕は彼が前世で経験したたくさんのことを思い出させているような感覚になった。彼との撮影は素晴らしい、有意義な体験となったよ。彼を通じて、そもそもなぜ自分たちが映画を作りたかったのか、初心に立ち戻ることができた。彼の母親は僕を先生と呼んでいたのだが(笑)、彼に教えることで、僕も多くを学ぶことができた。

—彼は今後も俳優業を続けるのでしょうか?

監督: ああ、映画製作に関わる仕事がしたいと言っているよ。俳優でも監督でもいいから、とにかく映画製作の現場にいたいそうだ。


海上のシーンは、波を作る機能を備えた水量640万リットルの巨大なタンクで撮影された。

—MTVを観ている多くの人は、劇中のパイと同世代だと思います。日本では長引く不況もあり、若者が夢や希望を抱くのが容易ではない時代が続いているのですが、日本の若者には今作からどのようなことを感じ取ってほしいですか?

監督: 希望と想像力を失わないでほしい。それに、生身の人間と交流すること。パソコン上の交流は、どちらかというと見せかけだと思うよ(笑)僕はたとえどんな状況でも、証明できないことに対して希望や信頼を抱くことは大切だと思っている。それはとても重要なことだ。それに、クリエイティブであること。そうすることによって、辛い状況からも自分を見出せるはずだ。



—哲学的なメッセージがたくさん含まれた作品だと思いますが、監督自身が今作から得た最も大きなメッセージは何ですか?

監督: これはさまざまな方向に解釈できる作品だと思っている。僕は観客があらゆる角度から観ることになるだろうと念頭に置いて、今作を作っていた。それと同時に、とてもシンプルな冒険物語でもあるわけで、この映画は本当に難しい作品だった。

僕自身の考えに絞るとすると、今作の最も大きなメッセージは、物語を伝える力の素晴らしさだろう。人生は筋の通ったものではなく、我々は自然を理解するには小さ過ぎる存在だ。しかし、人は想像力や物語を伝えることによって、正気を保つことができる。長い物語を語っている時、人はあまり孤独を感じないものだ。たとえそれが空想だったとしても、物語を伝える力は、とても必要なものなんだと思う。

だから僕は証明できないことを大切にしたいと思っている。自分にとって、それは盲信なんだ。もちろん、僕はスピリチュアルに考えがちだ(笑)神が外的な存在なのか、内なる存在なのか、それを証明するものはない。それでも僕は、神とコミュニケーションを図ることは大切だと考えているよ。



『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』
1960年代初めのインド・ポンディシェリで生まれたパイは、父親が経営する動物園でさまざまな生き物と触れ合い、勉強や初恋に一喜一憂する少年だった。ところが1976年、16歳になったパイの人生は根底からひっくり返ってしまう。カナダへの移住を決めた両親、動物園の動物たち、そしてパイが乗り込んだ日本の貨物船が、洋上で嵐に見舞われて沈没したのだ。生き残ったのは、必死の思いで救命ボートに避難したパイと、足を折ったシマウマ、ハイエナ、オランウータン、そしてベンガルトラのリチャード・パーカーだけだった。まもなくシマウマらが相次いで命を落とし、パイは体重200キロを超すトラとともに、果てしなく広大な太平洋をさまようことになる。わずかな非常食で当面の飢えをしのぎ、家族を亡くした悲しみと孤独にも耐えるパイは、どのようにして腹を空かせた獰猛なトラの襲撃をかわし、この絶望的な極限状況を生き抜いていくのか。今では大人になったパイがカナダ人のライターに語って聞かせたその先の物語は、まさに事実は小説より奇なり、227日間にも及ぶ想像を絶する漂流生活が待ちうけていた…。

監督:アン・リー(ブロークバック・マウンテン/グリーン・デスティニー)
出演:スラージ・ジャルマ、イルファン・カーン、ジェラール・ドパルデュー、ほか
原作:ヤン・マーテル「パイの物語」
配給:20世紀フォックス映画
2013年1月25日(金)、TOHOシネマズ日劇ほか全国公開 <3D/2D同時上映>
© 2012 TWENTIETH CENTURY FOX FILM

オフィシャルサイト>>

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Interview + Text: Nao Machida

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ローカル・ネイティヴス、待望のセカンド・アルバム『Hummingbird』を語る

2013-01-23
2010年にデビュー・アルバム『Gorilla Manor』で注目を集め、ここ日本でも日本盤発売前という異例のタイミングで「FUJI ROCK FESTIVAL '10」に出演し、多くの音楽ファンを魅了した、ロサンゼルス出身のローカル・ネイティヴス。4ピースとして新たに出発した彼らが、プロデューサーにザ・ナショナルのアーロン・デスナーを迎えて完成したセカンド・アルバム『Hummingbird』が、本日(1月23日)リリースされた(日本オフィシャルサイトにて全曲試聴実施中)。

ベーシストの脱退やケルシーの母親の死など、さまざまな経験を通じて深みを増したローカル・ネイティヴスの新たなサウンドについて、昨年11月に開催されたライブイベント「Hostess Club Weekender」で来日したバンドのメンバー、ケルシー・エアー(Vo, Key)とマット・フレージャー(Dr)が、MTV Newsに語ってくれた。



—今回は待望のセカンド・アルバム『Hummingbird』のリリースを控えての来日ですね。大ブレイクしたデビュー・アルバム『Gorilla Manor』に続く作品で、ファンの期待も大きいかと思います。

マット(写真左から2番目):  どんなバンドでも、セカンド・アルバムには大きなプレッシャーがつきものなんじゃないかな。

ケルシー(写真左): 僕らの場合、どちらかというと自ら課したプレッシャーだったかも。自分たちも気に入ることができて、誇りに思えるような良い作品を作りたいと強く思っていたから。結果がどうなるかは神のみぞ知るってところだよね(笑)僕らは全力を尽くしたから、それがどのように受け止められようが構わないんだ。成功するために曲作りをしているわけではないから、どれだけヒットするかは心配していないよ。

—デビュー・アルバムでの成功はどのように受け止めましたか?

マット: もちろん自分たちの音楽を信じてはいたけど、まさか複数の大陸をツアーするようになるとは想像していなかったよね。

ケルシー: うん。

マット: クレイジーなことだよ!

ケルシー: かといって圧倒されたかといえば、そうでもない。僕らはいつも自分たちの世界にいるようなものなんだ。前作も今作も変わらず、1つの部屋で一緒にアルバム制作をしたし、いつもみんなでいろんなことを考えて決めている。成功したところで気持ちの変化はないんだけど、人から「日本へ行ったの!?」とか言われるとハッとするんだ(笑)

マット: え?って思うよね。

ケルシー: でも街を歩けないほど有名になったわけじゃないし、超リッチになったわけでもない。今までどおり活動しているだけさ。ただ、こうやって日本に来られたりすることはとてもうれしいから、そういった意味では成功に感謝しているよ。

—新作『Hummingbird』は、前作と変わらぬ美しいハーモニーが健在でありながら、より深みのある、少し影のあるサウンドも感じられました。

ケルシー: メンバー全員、ここ数年で大きく成長したと思う。それがサウンドや曲作りに表れたんじゃないかな。自分たちが経験してきたことも、間違いなく曲に反映されているしね。とても自然な方向性だった。

マット: 僕らにとって、ごく自然な次なるステップだったよね。何かフレッシュなことにトライして、ミュージシャンとしての自分たちを駆り立てたかったんだ。

—ベースのアンディが脱退して、4ピース・バンドとしてのアルバム制作はいかがでしたか?

マット: 4人になったこともサウンドの変化に影響していると思う。全てをライブ収録することができなくなり、もっと実験的なことも試さざるをえなかった。でも、その状況が確実にポジティブな結果を生んだと思うよ。

ケルシー: 最初はとても難しかったんだ。僕らは何でもライブ演奏で収録することに慣れていたのに、もうそれができなかったから。4ピース・バンドなのに、5ピース向けの曲を書いていた。だから、まずはパーツを録音してみて、それをスピーカーを通して聴いてみてから、バンドとして演奏することにした。大きな調整が必要だったけど、慣れてきたら逆に良い作品を作る上で有効だった。



—アンディが脱退した理由を聞いてもいいですか?

ケルシー: 実は僕らの方がアンディと別れたんだ。ただ、方向性が違ってきたように感じてね。僕ら4人は同じページにいるのに、彼は別のページにいるという感じだった。だからお互いのために、別々の道に進むべきだと感じた。

マット: とても辛かったよ。

ケルシー: すごく残念だった。でも全員にとって、こうするべきだったんだと思う。

—4人になったローカル・ネイティヴスの曲作りのスタイルは?

ケルシー: いつもテイラー(Vo, G)と僕が作曲するんだ。それで4人がそれぞれアイデアを持ち寄って、2人とか3人とかに別れて書いてみて、マットと一緒にジャム・セッションを始める。1人から始まって、4人で育てるという感じかな。

マット: ときどき、みんなの同意を得るのが大変なんだよね。

ケルシー: 好きだからやれる作業さ。

マット: うん、だからこそ良い曲が生まれる。

—そしてローカル・ネイティヴスといえば、ハーモニーが本当に素晴らしいですが。

ケルシー: ありがとう!今作ではただハーモニーを入れるのではなく、本当に意味がある場合に入れることにしたんだ。いつも通り、いろいろ曲をいじっていく上でアレンジを変えていった。メインのメロディーを主軸に追加していく作業なんだよ。



—アルバムのタイトル『Hummingbird』の意味は?

ケルシー: タイトルはアルバム制作の最後に決めたんだ。収録曲「Colombia」のリリックから取った。アルバム全体を表現する上で適していると思ってね。あの曲の中での“ハミングバード(ハチドリ)”は、もっと特定のものを意味しているんだけどね。

—特定のものとは?

ケルシー: 2011年に亡くなった僕の母へのオマージュなんだ。でもアルバムのタイトルとしての“ハミングバード”は、落ち込んでいた僕らがその状態から反対側に抜け出し、その状況をより良い、強いものにしようとしていた時の気持ちに由来しているんだ。

—プロデューサーにザ・ナショナルのアーロン・デスナーを迎えた経緯は?ローカル・ネイティヴスはザ・ナショナルとツアーしていたんですよね?

マット: ザ・ナショナルのメンバーはみんな良い人たちなんだけど、僕らはツアー中、特にアーロンと一緒に過ごした。彼はこれまでにもプロデューサー業をしているし、協調的なマインドの持ち主だから、一緒に仕事をしたらどうだろう、と話していた。他にも何人かのプロデューサーと話したんだけど、アーロンも僕らもお互いに興味があったし、うまくいくと思ったんだ。

ケルシー: デビュー作にもプロデューサーはいたんだけど、全て自分たちで書いてアレンジした。だから、第3者が僕らのプロジェクトに加入して、クリエイティブな面でアイデアを追加するという経験は今回が初めてだったんだ。僕らにとって、クリエイティブ面でのコントロールを手放すのは難しかったけど、アーロンのおかげで楽にできた。マットも言ったようにとても協調的な人だし、過去にも他のアーティストと仕事した経験があるからね。かなりの速さで、とてもうまくいったんだ。

—レコーディングはブルックリンにあるアーロンのスタジオで行ったそうですね。ロサンゼルスからニューヨークへ行って、いかがでしたか?

マット: おかしいんだけど、僕らは「気が散らないようにLAを出よう!」と言ってニューヨークへ向かったんだ。でもニューヨークに着いたら、気が散るような楽しいことだらけだった。

ケルシー: (笑)

マット: でも良かったよ。ほとんどの時間はアーロンの家に住まわせてもらった。アーロンはビクトリア様式の古い家に住んでいて、僕らは最上階に滞在したんだ。

—じゃあ、前作に続いて共同生活をしながらアルバムを作ったんですね。

ケルシー: LAでレコーディングしていたら、共同生活は実現しなかっただろうね。

マット: 今作ではこれまでの安全地帯から少し抜け出すことを念頭に置いていたから、全く違う街に2、3ヶ月住んで、自分たちの慣れ親しんだ環境から離れるのは良い経験だった。

—何かニューヨークでの面白いエピソードはありますか?

ケルシー: ニューヨークの僕らは制作に没頭していて、ある時点ではみんな行き詰まって、自分の髪の毛を引っこ抜いているような状況だった。全員思い描いているゴールは同じなのに、そこまでどう辿り着くかという点で、なかなか同意できなかったんだ。間違いなく大変な作業だったけど、面白いエピソードと言われると、追って連絡させてもらうよ(笑)とにかくアルバムを完成させようと必死で、常にパニクっていたんだ!



—アーロンをプロデューサーに迎えたこと以外に、今作で何か新しいことにトライしましたか?

ケルシー: 今作は5ピースから4ピースへの過渡期だったから、全てをライブ収録するというアイデアは窓から投げ捨てて、とにかくいろいろ試して、曲に加えていくことにした。それはアーロンが提案してくれた大きなことだったと思う。「心配しないで、とにかくトライしてみよう」ってね。それにより、決してやり過ぎることはなく、シンセやフェイクドラムを取り入れてみた。それに、1作目では僕もマットと一緒にリズムを演奏していたんだけど、今作ではメロディーやキーボードに集中して、マットにリズムを任せたんだ。

—リード・シングル「Breakers」についてお聞かせください。

ケルシー: あの曲には、僕らがこのアルバムでやろうとした全ての要素が少しずつ詰まっていると思う。僕らの新たなサウンドへの良いイントロになると思って、リード・シングルに選んだ。

マット: 新たなサウンドへの緩やかな足がかり的な曲だよね。アルバムにはこれまでのサウンドともっと大きく違った曲もあるけど、この曲は僕らの成長が反映されていながら、かつての僕ら的な要素も含まれているように思う。

—アルバムの中で、ご自身にとって特に大切な曲はありますか?

ケルシー: 僕にとっては「Bowery」かな。アルバム制作の初期に書いた曲で、いろんなレベルでうまくいかなくて、すごく苦労したんだ。でも、みんなで一緒に完成できるだろうという希望が常にあった。だから、完成した楽曲にとても満足しているんだ。

マット: 僕にとっては「Black Spot」も今作のハイライトだな。苦労する曲もあれば、自然にできる曲もあるんだけど、「Black Spot」は後者だったんだ。僕らはジョシュア・ツリー(カリフォルニア州の国立公園)に行って、奇妙なドームハウスを借り、5日間ぶっ通しで曲作りをした。ケルシーがキーボードで書いたメロディーがあって、それを元にすごい早さで完成したんだよ。僕らにとっては珍しいことなんだ。すごく良い気分だったよ。

—日本のファンにアルバムの聴きどころを教えてください。

マット: 今作について「ダーク」とか「ヘヴィー」っていう言葉がよく出てくるけど、勘違いはしてほしくない。ただ、これまでにはなかったような重みがある作品なんだ。デビュー作は明るくてスウィートで、夏っぽいハッピーな作品だと言われていた。今作の音楽にもオプティミズムは健在で、聴けば気分が上がることには変わりないと思うんだ。ただ、今作には…

ケルシー: 今作の方が、確実によりパーソナルな作品だよ。パーソナルな作品であるだけに、そうでない作品よりもヘヴィーな部分があるんだと思う。

マット: 確かにリリックが楽曲の感情を左右するかもしれないけど、シンセによって新たなサウンドが生まれたし、ハーモニーも健在だ。とにかく今作はユニークな作品だよ。



—「Hostess Club Weekender」(2012年11月3日に東京・Zepp DiverCity Tokyoにて開催)でのステージは、今作を引っさげての初ライブだったんですよね?

ケルシー: ちょっと緊張したけど、新曲を演奏するのはエキサイティングだし、リフレッシングだよ。今回が新作を引っさげての初めての本格的なライブだけど、ニューヨークとLAでも小さなライブをやったんだ。新曲を披露して、前作の曲と続けて演奏した時、自分たちの成長や進化が感じられて興味深かったよ。本当にたくさんのことを注ぎ込んで作った作品だからね。

マット: 興奮したよ。リハーサルしていても、新曲と古い曲をやると、良い意味ですごく違いを感じられるんだ。自分たちがこのような進化を遂げたことを実感できて、ワクワクしたよ。今後も進化し続けたいし、次に何が僕らを待ち受けているのか楽しみだよ。

—最後に日本のファンにメッセージをお願いします。

ケルシー: ぜひまた来日したいよ!

マット: フジロックは楽しかったな。いつも応援してくれてどうもありがとう。もっと頻繁に来日したいよ!

ケルシー: できるだけたくさん来日するよ!

マット: 新作も気に入ってくれるといいな!僕らはとても気に入っているんだ。



Photos: Tetsuro Sato
Interview + Text: Nao Machida




『Hummingbird』
1. You & I
2. Heavy Feet
3. Ceilings
4. Black Spot
5. Breakers
6. Three Months
7. Black Balloons
8. Wooly Mammoth
9. Mt. Washington
10. Colombia
11. Bowery
12. Palms ※
13. 11 : 11 ※
14. Ingrid ※
15. Breakers (J£ZUS MILLION Remix) ※
※は日本盤ボーナストラック



ローカル・ネイティヴス
ロサンゼルスのシルヴァー・レイクを拠点に活動する現在は4人組のインディ・バンド。2010年初めにアルバム『Gorilla Manor』でデビュー。SXSWでのパフォーマンスが音楽業界で注目を集め、アルバム発売直後から「NME」や「ピッチフォーク」など各方面のメディアで"2010年大注目のバンド"として取り上げられ話題となった。日本ではアルバム国内盤発売前という異例のタイミングで「FUJI ROCK FESTIVAL '10」に出演。森に囲まれた昼下がりのホワイト・ステージでの彼らのパフォーマンスは、幻想的な世界を作り出し多くの観客を魅了した。さらに2011年、東京/大阪のジャパン・ツアーを開催。2012年11月にはニュー・アルバム『Hummingbird』のリリースを控え、「Hostess Club Weekender」でパフォーマンスを行った。

日本オフィシャルサイト>>
『Hummingbird』全曲試聴配信中!

13:30

3年ぶりの新作リリース!ヨ・ラ・テンゴ最新インタビュー

2013-01-17
米ニュージャージー州ホーボーケンを拠点に活動する、インディー界のカリスマ・バンド、ヨ・ラ・テンゴが、1月9日に約3年ぶりの新作『Fade』をリリースした。20年以上に渡ってバンドの作品を手掛けてきたロジャー・マテノの代わりに、トータスのジョン・マッケンタイアをプロデューサーに迎えて完成したという、バンドにとって通算13作目のスタジオ・アルバムだ。

今回紹介するのは、都内で行われたジェームズ・マクニュー(Vo/B)のインタビュー。待望の新作や長年に渡るヨ・ラ・テンゴでの活動について、MTV Newsにじっくりと語ってくれた。実はバンドが来日したのは、ハリケーン「サンディ」が彼らの地元を襲った直後の昨年11月のこと。暗闇の中で荷造りしてまで来日してくれた3人は、滞在中にファンの質問に答えながら楽曲を決定するというユニークなライブ・イベント「Freewheeling Yo La Tengo」を開催。それは観客と同じくらい、彼らにとっても貴重な経験となったようだ。



—ハリケーン「サンディ」の直後だったにもかかわらず、来日してくれてありがとうございます。

ジェームズ・マクニュー(以下、ジェームズ): もちろん、来日できてうれしいよ。

—今回はニュー・アルバム『Fade』のリリースを前にしての来日ですね。2011年はアイラが体調不良だという発表があって、日本のファンも心配していましたが、もう大丈夫なのですか?

ジェームズ: 大丈夫だよ。その後に行った毎年恒例のハヌカーのライブも大成功だったしね!

—それは良かったです。新作では20年来プロデュースを手掛けてきたロジャー・マテノではなく、トータスのジョン・マッケンタイアをプロデューサーに迎えたことが大きな話題となっていますが、その経緯は?

ジェームズ: 僕らはただ新しいことに挑戦したかったんだ。ジョンとは長年の友人でありながら、1度も一緒に仕事をしたことがなかった。僕らはジョンのバンドが大好きだし、彼がプロデュースした他のアーティストの作品も素晴らしいと思う。きっと楽しんで、面白いものが作れるんじゃないかと思った。結果はとてもうまくいったよ。僕らがシカゴへ飛んで、ジョンの素晴らしいスタジオで作業したんだ。ジョンの都合上、数週間作業して、1週間休んで、また数週間シカゴに滞在して、といった感じだったんだけど、それが逆に良かったと思う。休みを挟むことで耳がリフレッシュされて、スタジオに戻った時に新たなアイデアが生まれるんだ。最高の経験だった。

それにロジャーとは長年一緒にやってきて、お互いのことを熟知していたから、彼は僕らのアイデアや決断を予測できるようになっていたと思うんだ。でもジョンは何も知らないから、僕らは思いを伝えるためにいつもより努力していた。ロジャーにだったら言わなくても通じることを、ジョンにはちゃんと伝える必要があった。グループとして上手にコミュニケートできていたと思う。時に難しかったけど、最終的にはうまくいったよ。

—レコーディングの過程で、ロジャーの手法と大きく違ったことはありましたか?

ジェームズ: 技術面で違うことはいっぱいあったし、サウンド面でもこれまでの経験とは異なる音がたくさん生まれたように思う。マイクの配置とか、いろんなことのやり方が違ったけど、基本はジョンに任せて、その中でお互いのバランスを見つけるようにした。とてもうまくいったよ。ジョンは機械の一部なんじゃないかな(笑)すごくフレンドリーな人間型コンピューターみたいな。頭の回転がとても早いんだけど、とても静かな人で、賢い人だよ。

—ロジャーは今回の決断について何と言っていましたか?

ジェームズ: 理解してくれたよ。決断するよりかなり前から、僕らはロジャーに相談していたんだ。問題なく理解してくれた。

—アルバムのタイトル『Fade』の意味は?

ジェームズ: いろんな意味がある。だからこそ、僕らはこのタイトルが気に入ったんだ。どれか1つを選ぶ必要がないからね。僕はいろんな解釈ができるものが好きなんだ。それが何を意味するか、考える相手に託されているようなものがね。君にとっての意味が、このタイトルの意味なんだよ。

—聴く人によって意味が違うわけですね。

ジェームズ: メンバー3人で話し合ったときも、まさにそんな会話になったんだ。いろんな意味があるから魅力的だね、とね。



—ヨ・ラ・テンゴにとって、今作『Fade』は1986年以来、13作目のスタジオ・アルバムですね。

ジェームズ: ワォ!ほんとに?僕はもう数えるのはやめたんだ(笑)

—ジェームズさんが加入してからも既に20年経っているわけですが、いつまでもインスピレーションを受け続けられる秘訣は何だと思いますか?

ジェームズ: うーん…分からないな。僕らはあまり考えていないんだ。それが秘訣なんじゃないかな。曲作りはまるで会話のようなもの。僕らは今でも話題に尽きないし…なんでだろう?本当に考えたこともないや(笑)ツアーでは寝たり、食べたり、買い物したりに重きを置いているけど、普段は常に曲を書いているよ。

最近ではサム・グリーンっていうフィルムメーカーが、1950年代〜70年代に活躍した建築家でエンジニアでビジョナリーのR・バックミンスター・フラーという男の人生を描いたドキュメンタリーの音楽を作曲したよ。45分の作品で、僕らは35分の音楽を作曲したんだ。サムがフィルムを生でナレーションして、僕らがライブ演奏するようなプログラムでね。あのプログラムを作った時に、自分たちが突然に35分もの音楽を作曲したことには驚いたよ。自然発生的に、あんな風に作曲できるなんて、すごくハッピーになった。無理矢理作ったわけでなく、本当に自然にできたんだ。その経験によって、「ワォ、僕らには何でもできるんだ!」って思えた。実際に何でもはできないかもしれないけど、トライはできるよね(笑)

—昨夜のライブ「Freewheeling Yo La Tengo」では、観客からの質問に答え、その場で演奏する曲を決定するというユニークな構成で、観ていてとても楽しかったです。そういえば、MCで日本で先生になることを目指していたと話していましたね。

ジェームズ: 英語の先生にね。日本に引越して、英語の先生になりたかったんだ。日本語も少し勉強したんだよ。日本に来ると脳に当時の記憶がよみがえって、ちょっとだけ読むこともできる。

—すごいですね。どれくらい勉強していたのですか?

ジェームズ: 2年間だよ。僕は学校が大嫌いで、ものすごくつまらないと思っていた。でも日本語の勉強は、まるで一からやり直すみたいに新鮮だった。フランス語やスペイン語を勉強しても、ちょっと英語っぽいからね。日本語は完全にゼロからの出発で、まるで自分の頭の中をきれいにしてくれるような気がしたんだ。言葉だけでなく、日本にまつわる全てのことが大好きになった。昔は漢字もたくさん知っていたのだけど、学校を卒業したら別の知識と入れ替わって、頭の中から出て行ってしまった。

—日本語を勉強したことがきっかけで、日本の音楽にもはまったのですか?

ジェームズ: 僕は世界中のサイケデリック・ミュージックが好きで、特に日本のアーティストによるサイケデリック・ミュージックの解釈が、自分にとても訴えかけるように感じる。説明するのがすごく難しいんだけど、だからこそ、真のサイケデリックなんじゃないかな。説明できない、夢のような世界という意味でね。(日本語の曲は)言葉が理解できないという部分も大きいのかもしれない。全てを理解できないことによって、音楽がよりパワフルになるんだと思う。よりアーティスティックなレベルでのコミュニケーションになるからね。

—何を言おうとしているか考えることなく、感覚で感じられるからですかね。

ジェームズ: うん、その通りだと思う。ラジオでバカなアメリカ人のくだらない歌を聴くと、「ヘイ、ベイビー。ダンスしに行こう」とか、直接耳に入ってくる。もしかしたら灰野敬二も同じ内容を歌っているのかもしれないけど、きっと違うと思うな。でも、もしかしたらそうかもね(笑)

—ライブでは1970年代の日本のグループサウンズについても話していましたね。

ジェームズ: 数年前に大好きなゆらゆら帝国の坂本慎太郎と友だちになって、GSが大好きになった。実は彼が昔の日本のバンドの楽曲を収録したCDを何枚か作ってくれて、それがきっかけで開眼したんだよ。それまでは裸のラリーズも知らなかったし、はっぴいえんどは1、2回聴いたかもしれないけど、彼がCDをくれるまではちゃんと鑑賞したことがなかった。ワーォ!って驚いたよ。

—「Freewheeling Yo La Tengo」は、これまで他の国でも行ってきたそうですね?質疑応答で女性ファンがジョージアにプレゼントを持ってきたのが日本らしいと思ったのですが、質問にお国柄は出ますか?

ジェームズ: どこへ行っても毎回全然違うんだよ。どんなコンサートとも同じように、観客とのコネクションが大切なのさ。昨夜は質問の真剣さに感動したよ。みんながあんなに真面目に参加してくれたことが、とても感動的だった。僕らの活動をあんなにも真剣にとらえていてくれるんだ、とね。本当に感動的で、僕らももっとがんばろうと思えた。一つのことがもう一つのことへの力となり、結果、より大きなものが生まれたようなライブだった。あんなショーは今までに一度もなかったよ。

—同じバンドのメンバーと結婚するというドラマーの女性が、夫婦でバンド活動する上での秘訣を聞いた時に、ジョージアが「ジェームズを見つけること」と答えていたのがスイートでした。

ジェームズ: そうだね(笑)あれはとてもスイートだったな。

—実際のところ、夫婦と一緒にバンドを組むのは、どのような気分なのですか?しかもこんなに長い間。

ジェームズ: とても珍しいことだよね。ここ1年半ほど、マン・フォーエバーっていう別のバンドでも活動しているのだけど、リハーサルをしないバンドだし、ヨ・ラ・テンゴとは全然違う。僕らは練習中に曲を書いて、みんなで集まって演奏するんだ。何か良いものが生まれればうれしいし、ダメだったらいつでも明日がある。そして、いつもリハーサルに到着すると、3、40分くらいは演奏しないでおしゃべりしているんだ。野球のことやテレビのことなんかを、ただしゃべっているんだよ。それはバンドにとって大切な時間なんだと思う。これもまたコネクションだよね。僕らがしゃべっている時、それはまるで楽器を演奏しているかのように感じる。話を伝えたり、ただ会話したりすることが、とても自然に感じられるんだ。



—昨夜はその場で楽器も交換していましたね。ドラムを演奏した気分は?

ジェームズ: 君もトライするべきだよ、超楽しいから!楽器の演奏に関する知識の重要性は、過大評価されていると思う。それはクリエイティビティにおける行き止まりのようなものだ。何か新しいものや、まだ理解できていないことをトライするということ…何か間違ったことをすることは、相対的なことだと思うんだ。もし君にとって良いサウンドだと感じられたら、それが成功なんだよ!

—昨夜のライブではセットリストもなく、その場で決めた楽曲を演奏していましたが、以前にアルバムが完成した後は聴かないとおっしゃっていましたよね。

ジェームズ: 聴かないよ。

—でも演奏のしかたは覚えているのですか?

ジェームズ: レコードを作るときは、完璧だと思える場所にたどり着くために、ものすごく努力する。制作中に同じ曲を何百万回も聴くんだ。それをミックスして、マスタリングして、これで完璧だ!と思ったら、ある意味、解き放すのさ。まるで窓を開けて、飛び立たせるかのようにね。その後はステージで演奏する必要があるから、楽曲はすぐに変わっていく。長年にわたり、楽曲は僕らと一緒に成長しているように思う。僕らが変われば、楽曲も変わるんだよ。ときどき20年前にレコーディングした楽曲を聴いて、細かいところがいかに変化したかに気づくんだ。昨夜も「今日はちょっとゆっくり演奏したな」とか、「ここが変わったな」とか感じられた。ちょっとステキなことだよね。楽曲は生きていて、常に変化している。

—20年経った今、ヨ・ラ・テンゴのメンバーであることの最高なことは?

ジェームズ: 分からないな。僕は友だちが好きなんだ。このバンドではとても良い友だちができた。

—ベストフレンドと一緒にバンド活動できるって幸せですね。

ジェームズ: そう思うよ。ときどきメンバーが嫌い合っているバンドが最高の音楽を作ったりもするけどね。さらには、嫌い合っている兄弟からなるバンドが最高の音楽を作ったり(笑)だから、人それぞれなんだろうな。僕はラッキーだったよ。

—日本のファンにメッセージをお願いします。

ジェームズ: ありがとう。もっとファンのみんなと交流したいな。昨夜はみんなに会ったり話したりすることができてうれしかったよ!


Interview + Text: Nao Machida




『Fade』

01. Ohm
02. Is That Enough
03. Well You Better
04. Paddle Forward
05. Stupid Things
06. I'll Be Around
07. Cornelia and Jane
08. Two Trains
09. The Point of It
10. Before We Run
11. Cornelia & Jane (Instrumental Version)*
12. Oriole*
13. I Saw The Light
14. Move To California*
*日本盤ボーナストラック



ヨ・ラ・テンゴ

ニュージャージー州ホーボーケンにて1984年に結成。当時音楽ライターをしていたアイラ・カプラン(Vo/Guitar)とジョージア・ハブレー(Vo/Drums)を中心に結成される。91年にジェームズ・マクニュー(Vo/Bass)が加入し、現在のスリーピースの形となる。ライヴやアルバムのリリースを着々と重ね、ついにオリジナル8枚目である97年発表の『I Can Hear the Heart Beating as One』で世界的に大ブレイク、CMJチャート1位を獲得し日本でもその名前を知らしめ、高い評価をうける。芳醇な音楽的知識に裏づけされながらも自由な音楽精神、ノイズあり、サイケあり、ドリーミー・ポップあり、彼らの音楽を一言で表すことは大変難しく、その音楽的姿勢は現代のヴェルヴェット・アンダーグラウンドとも評されることも。11月に東京で行われたスペシャル・ライヴ“THE FREEWHEELING YO LA TENGO”もソールドアウトとなり、大好評のうちに幕を閉じた。

日本公式サイト>>

18:10

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