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エディターズに聞く、新作『The Weight of Your Love』までの道のり

2013-07-02

2002年のデビュー・アルバムが全英アルバム・チャートで2位を獲得。その後、マーキュリー・プライズにノミネートされ、セカンド・アルバムとサード・アルバムでは全英1位を獲得するなど、輝かしいキャリアを歩んできたエディターズが、6月に開催されたライブ・イベント「Hostess Club Weekender」出演のため、実に6年ぶりの来日を果たした。

前回の来日後、ギタリストのクリスとの別れ、そして新メンバーのジャスティンとエリオットとの出会いを経験していた彼らは、先日待望のニュー・アルバム『The Weight of Your Love』をリリース。キングス・オブ・レオンやトム・ウェイツの作品を手掛けたジャックワイア・キングをプロデューサーに迎え、イングランドを飛び出してアメリカ・ナッシュビルでレコーディングされた、よりストレートなロック・アルバムだ。MTV Newsは、バックステージでフロントマンのトムとベーシストのラッセルをインタビュー。エディターズのここまでの道のりをじっくりと語ってもらった。



―前回の来日から実に6年ぶりですね。

トム: そんなに?

ラッセル: うん。

トム: そっか、そうだね。残念ながら3枚目のアルバムをリリースした後、来日することができなかったから。

ラッセル: ああ。

トム: それに僕らは、ちょっとドラマティックな数年間を過ごしていたから、4枚目のアルバムを制作するのに予定よりも時間がかかってしまってね。だから長いこと日本にも来られなかったけど、またこうして新たなラインアップで来日できてうれしいよ。日本で再スタートを切るような気分だ。

―前回の来日後、ギタリストのクリスが脱退して、新メンバーのエリオットとジャスティンが加入したそうですね。

トム: うん、クリスが脱退する瞬間まで、それはとても辛い時期だったよ。決して一晩で起こったことではなく、1年以上の間の出来事だったんだ。新曲のリハーサルをして、レコーディング・セッションをして、中断して…4人のクリエイティブなエナジーが停止するのを感じるのは怖かった。最初の3枚のアルバムでは、1度も同じことを繰り返しているような気分にはならなかったし、自分たちのやっていることに興奮しないことなんてことはなかったんだ。でも、急にエキサイティングではなくなってしまった。とてもダークな日々で、時間が経つにつれ、もう続けることは無理だと感じた。あれは恐ろしかったよ。

それでも、クリス抜きで前進することを決意して…それはもちろんとても辛い決断だった。だけど決意して、新メンバーがライブでサポートしてくれるようになり、レコーディングにも参加してくれるようになったら、突然それまでとは状況が変わったんだ。メンバー同士でコミュニケーションを取って、いろんなアイディアを交換できて、最高だった。すぐにとてもエキサイティングに感じることができたし、そのエナジーのおかげで、今の僕らはここに居るんだと思う。レコードが完成して、今こうして君と話すことができるなんてね。今夜のライブは、新しいラインアップでレコードを作ってから、初めてのステージなんだ。新生エディターズは、まさに今夜スタートするんだよ。

―ニュー・アルバムを聴く限り、ジャスティンとエリオットの加入は、バンドにとってポジティブな結果をもたらしてくれたようですね。

トム: ありがとう!

―彼らがエディターズに加入した経緯は?

ラッセル: ベルギーのフェスティバルへの出演が決定していたのだけど、その前にクリスが脱退することが決まってしまって、ライブをサポートしてくれる人が必要になったんだ。僕らは代理のギタリストを1人入れるのではなく、2人入れたいと思っていて、それであの2人が入ったんだよ。

―2人のことは前から知っていたのですか?

ラッセル: 過去にエリオットのバンドとツアーをしたことがあったから、彼が良いミュージシャンだということは分かっていた。ジャスティンはプロデューサーのフラッドに推薦してもらったんだよ。フラッドが以前にジャスティンとレコーディングしたことがあって、エディターズに合うんじゃないか、って。彼は正しかったよ。

―これまでリリースした3作が大ヒットした上、新たなラインアップで新作を制作するということで、プレッシャーは2倍だったのではないかと想像しますが。

トム: (笑)実際は新メンバーが入ってきたことによる、エキサイティングな気持ちの方が大きかったよ。あとはホッとした、って感じかな。これからも自分たちが夢中になれるような作品を作れるんだ、と思ってね。もちろん、これまで通りの活動を続けられたらいいけど、とにかく自分たちが誇りに思えるようなレコードを作ることが大切なんだ。それにもう4枚目だからね。プレッシャーを感じるかどうかは、自分で選択できる。自分たちは新作をとても気に入っているし、それを気に入ってくれる人がいればいいな、と思う。

―曲作りはクリスが在籍中にスタートしたのですか?

トム: 楽曲の3分の2はクリスとフラッドと手掛けて、レコーディングもしたんだ。一部の曲は2度も3度もレコーディングした。でもうまくいかなくて…クリスだけでなく、フラッドともね。楽曲自体は良いと思っていたのだけど、それに対して自分たちのやっていたことが良くなかったんだ。

―より実験的だった前作と比較して、今作はストレートなロック・アルバムで、曲のパワーを感じました。それでいて深みのある作品だと感じましたが、5ピースになった今、曲作りのプロセスに変化はありますか?

ラッセル: もちろん。新たに2人も加入したんだからね。普段はトムが詞とベーシックなコードを書いて、みんなで集まって、そこからどこへ広げられるかを考えるんだ。主にギターを演奏するジャスティンと、キーボードとギターを演奏するエリオットが入ったことで、どこに何が合うのか、何が強くて何が強くないのかを考える必要があった。みんなで部屋に集まって曲作りができたのは良かったよ。たくさんのアイディアが飛び交っていた。

―バンド内のコミュニケーションも以前より良かったそうですね。

トム: そうなんだ。クリスとは決してケンカをしたわけではなく、ただ4人で進むことができなくなってしまった。その時点で、バンド内に会話はなくなっていたし、新しいことを試すようなオープンな空気でもなかった。でも新しい5人のラインアップになったら、急にディスカッションできるようになったんだ。考えることも楽にできるようになった。それは簡単そうでいて、長い間、僕らにはできなかったことだったんだ。とても解放感があったし、エキサイティングだったよ。

―ジャスティンとエリオットがバンドにもたらした最高のことは何だと思いますか?

トム: エリオットの強みは彼の声かな。彼のバックボーカルをレコードに入れることは、僕らにとって新しい挑戦だった。これまでで最高のバックボーカルだったよ。それはパレットに追加された新たな色となった。

ジャスティンは言うまでもなく素晴らしいギタリストで、クリスとは違う、彼独自のスタイルで演奏するんだ。僕らも彼のスタイルが大好きだよ。それに彼はクリエイティブなエナジーやアイディアをたくさん持っている。リハーサル・ルームに、ギターの演奏以上のたくさんのことを持ち込んでくれるんだ。クリエイティブな面で、彼は思考を止めることができないタイプなんだよ(笑)彼のようにアイディア豊富な人がいるって、うれしいものだよ。

―エディターズに加入するなんて、2人は緊張していたのではないですか?

ラッセル: ビビッてたよ(笑)明らかにナーバスだった。でも、ミュージシャンも普通の人間だからね。

トム: ああ、普通の人間なんだ。

ラッセル: 僕らはね。モリッシーのバンドにでも加入すれば、話は違うかもしれないけど。

トム: (笑)

ラッセル: 僕らは大歓迎するよ。



―ニュー・アルバムはアメリカのナッシュビルでレコーディングしたそうですね。イングランド以外でレコーディングするのは初めてだったそうですが、どのような経験になりましたか?特にナッシュビルはとてもアメリカ的な街ですし、イングランドとは全く違った環境だと思うのですが。

トム: 全然違ったよ。

ラッセル: とても音楽的な町なんだ。

トム: バーベキューの匂いがするんだよ(笑)

ラッセル: プロデューサーのジャックワイア・キングが、ナッシュビルのブラックバード・スタジオをベースに活動しているから行ったんだよ。彼がデモを聴いて、僕らと仕事をしたいと言ってくれてね。素晴らしいスタジオだったし、僕らはチャンスに飛びついたよ。

―どのくらいの期間、滞在していたのですか?

トム: 6週間だよ。全員が普段の生活から逃避して、アルバムに没頭する上で、それは重要な時間だった。新生バンドとして活動するわけだし、一緒にレコードを作るだけでなく、私的にも互いをよく知る必要があったからね。ロンドンとか日常生活に近い場所でレコーディングしていたら、1日の終わりにはそれぞれが家にバラバラに帰ることになる。でもナッシュビルでは常に近くにいたからね。

それに、そこは僕らにとって奇妙な場所だった。文化的にも全く違った場所だし、ニューヨークやLAだってイングランドとは違うのに、ナッシュビルはなおさら違ったよ。ナッシュビルの人たちは僕らのイギリス英語を聞くと驚くんだ。とてもフレンドリーだし、歓迎してくれたよ。南部の町だし、オールドスクールで、僕らにとってはとても興味深かった。

―家を借りていたのですか?

トム: うん、郊外で一緒に暮らしていたんだ。毎日スタジオまで車で通っていた。

―まさにアメリカ生活ですね。最大のカルチャーショックは何でしたか?

ラッセル: アメリカ人のプロデューサーやエンジニアと仕事するのが初めてだったから、それが最大の違いだったかな。

―イギリス人とはどのように違うのですか?

トム: コミュニケーションが違ったね。特にジャックワイアは、楽曲やパフォーマンスの中から感情を聴き出したいタイプのプロデューサーなんだ。だからそういった感情を引き出すには、僕らと会話をする必要がある。でもイギリス人は、感情的な話は避けたいんだよね。多くのアメリカ人はセラピストがいて、何でも話したがるみたいだけど。あれは違和感あったな。お互いに納得できるコミュニケーションの方法を確立するまで、少しギクシャクしたよ。僕らが十分に深く話さないから、ジャックワイアはイライラしていたし、僕らは僕らで、「なんでこんなこと話さなきゃいけないんだ?」って彼にイライラしていた。「仕事だけしてくれよ」って(笑)

―(笑)最終的には慣れましたか?

トム: お互いの中間地点に落ち着くことができたよ。

―文化だけでなく、風景や何から何まで真新しかったと思いますが、環境の変化がサウンドに影響を与えたことはありますか?ナッシュビルで新たなインスピレーションを受けましたか?

ラッセル: 現地でブルーグラスの演奏を聴きに行ったよ。あまりはまらなかったけどね(笑)でもカントリーやウェスタンだけでなく、ロックンロールもたくさん耳にする町なんだ。ジャック・ホワイトのサード・マン・レコードもあるし、ザ・ブラック・キーズもいるしね。スタジオで過ごす時間が多かったけど、楽器やアンプも素晴らしかったよ。それにジャックワイアやエンジニアの仕事ぶりも非常にプロフェッショナルだった。

―ジャックワイア・キングは、キングス・オブ・レオンやトム・ウェイツ、ノラ・ジョーンズら、多くのビッグネームの作品を手掛けていますが、彼との仕事はいかがでしたか?

トム: コミュニケーション問題以外は素晴らしかったよ(笑)それもそんなに頻繁ではなかったしね。彼は多くのプロデューサーと比較して細かいことにうるさくないし、複雑でもない。ただ最高のパフォーマンスを求めているだけさ。

―ストレートな方なんですか?

トム: そうだよ。彼はバンドとしての僕らの良さを引き出してくれたように思う。僕らはリハーサルをたくさんして、久しぶりにすごくバンド感を得ることができた。基本的には、彼に曲を聴かせて、感情のこもった最高のものを出す、という作業だったんだ。複雑にしすぎず、時には余計なものをそぎ落とすことも恐れないっていうことを学んだよ。それは、これまでは怖くてできなかったことだった。ストリングスとボーカルだけとか、アコースティック・ギターだけとかね。自分をさらけ出すことを恐れない、という意味では勇気が出たかな(笑)

―ジャックワイアによる最大の貢献は?

ラッセル: 彼はとてもピュアな楽曲を求める人。各メンバーに与えられたパートがあって、それ以上のレイヤーをたくさん重ねる必要はないんだ。正しい感情がそこにある限りね。それができていれば、彼は満足なんだ。

トム: それに彼は最高のカクテルを作ってくれた。

ラッセル: そうだね、最高だった(笑)テキーラがうまかったな。

―タイトル『The Weight of Your Love』に込められた意味は?

トム: 特にテーマを決めていたわけではないんだけど、曲作りを始めて4、5曲書いた時点で、ほとんどの曲のタイトルや歌詞に“Love”が入っていることに気づいた。アルバムを通して、1人の人からもう1人の人へ歌っていて、世界がどうであろうが気にしない、より私的な世界観が広がっていた。再びラブ・ソングを書き始めたという意味でも、“Love”がトピックになっている。ロマンティックでハッピーな愛だけでなく、愛がいかに人を傷つけ、破壊するかという側面も書いたよ。『The Weight of Your Love』というタイトルは、1曲目の「The Weight」から取った。そのフレーズが全ての楽曲で伝えようとしていることを表しているように思ったんだ。

―楽曲は実体験をもとに書かれたのですか?

トム: そうでもあるし、そうでもないね。決して日記というわけではなく、でも、もちろん、自分の経験を元にした感情や気持ちも入っている。だけどそれと同じくらい、曲作りをするときは想像力を働かせるようにしているんだ。語り手になりきって、無我夢中になることを恐れずにね。中にはゆがんだ、ストーカー的なラブ・ソングもあるけど、僕はそういうタイプではないよ。少なくとも表面的にはね(笑)

―収録曲「What Is This Thing Called Love」は、トムがオーディション番組「Xファクター」の挑戦者のために書いたという話は本当ですか?

トム: 当時のレーベルが、その年の「Xファクター」の優勝者のアルバムを企画していたんだ。担当者はたくさんのアーティストに楽曲提供を依頼していたんだけど、僕には依頼してこなくて、嫉妬していた(笑)「なんで僕には頼まないんだよ?」ってムカついてさ。それであの曲を書いて送ったら、「オーマイガッド、素晴らしいね」って言われた。

 だから「What Is This Thing Called Love」は、採用を検討されるような曲が書けるかを試したくて書いた曲なんだ。そのおかげで、エディターズのことは考えずに、いつもとは違う思考回路で書くことができた。そして、ソングライターとして、自分の中から新たなものを引き出すことができたんだ。担当者は気に入ってくれたんだけど、企画自体が流れてしまってね。それでメンバーに聴かせたら、みんなが気に入ってくれて、最終的にはアルバムに収録することになった。

―収録されて良かったです。

トム: ありがとう!とてもストレートな曲なんだ。これまではギターやシンセが何層にも重なって、隠された要素がある曲が多かった。この曲はとてもストレートでメロディアスだし、僕は初めてファルセットで歌っている。とても良い曲に仕上ったように思うよ。

―サウンド面ではホーンセクションが取り入れられていたり、より深みを感じられました。その一方で、「The Phone Book」のような、シンプルなギターの曲も良かったです。サウンド面で特にこだわったことはありますか?

トム: ストリングスは最初の段階から考えていたんだ。自分たちの大好きな、たとえば(R.E.M.の)『Automatic for the People』のようなレコードでも使われていた、トラディショナルなツールだからね。それがこだわった部分の1つかな。

ラッセル: そうだね。

トム: ほかにもいろいろあるよ。アコースティック・ギターをあそこまで前面に出したことも初めてだったし。それもやってみたかったことなんだ。

―このアルバムを制作するにあたって、最大のチャレンジは何だったと思いますか?

ラッセル: スタジオでは必ず曲の方向性が分からなくなる、厄介な瞬間が訪れる。でも、良い曲ができるという自信を持つ必要があるんだ。「Nothing」のような曲は扱いにくかったよ。既にライブで何度か演奏していて、反応が良かったんだけど、僕らはバンドとしてあまり満足できていなかったんだよね。だから僕らは…

トム: ビジネス面での決断を強いられた。

ラッセル: そう、ビジネス面での決断をね(笑)それでメンバーは全員排除したんだ。

トム: (笑)

ラッセル: ストリング・アレンジメントを入れることにした。でも、その方が曲に合っていた。それに「The Phone Book」とか他の何曲かでも、いくつか違ったバージョンがあったんだ。でもスタジオで演奏すると、すぐに“お気に入り”が見つかったよ。

トム: 僕にとってはボーカルが最大のチャレンジだったな。意図的に幅を広げたことは、最もタフなことだった…“タフ”は大げさかな(笑)歌うということに対する精神的なアプローチに、若干の調整が必要だった、という感じだよ。

―新生エディターズは、今後どのように活動していきたいですか?

トム: まだこの5人になって1年も経っていないんだ。スタートしたら、アルバムがすごい速さで完成したからね。新しいことを始めるというのは、常にエキサイティングなことだよ。大々的なプランはないけど、バンドとして再びクリエイティブなことができて、興奮しているんだ。

―今後の予定は?

ラッセル: 来年にはツアーでまた日本に来られたらいいね。でも、前回もそう言ったんだよな…。

トム: 6年前にね(笑)

ラッセル: 今度は絶対に戻ってきたいよ!

―日本のファンにメッセージをお願いします。

トム: ずっと来日しなくてごめんね。

ラッセル: ニュー・アルバムを気に入ってくれるといいな。また来日すると約束したいよ(笑)

―トムも同じ気持ち?

トム: もちろん!こんなに長い間戻って来られなくてごめん。またみんなに会えることを楽しみにしているよ!


Photo: Matt Spalding
Interview + Text: Nao Machida


 

エディターズ

5人組の英ロックバンド。2005年のデビュー・アルバム『The Back Room』は、英国の最も栄誉ある音楽賞のマーキュリー・プライズにノミネートされ、全英チャート2位を獲得。07年の2作目『An End Has a Start』、09年の3作目『In This Light And On This Evening』はそれぞれ全英チャート1位を獲得。13年6月「Hostess Club Weekender」出演のため、「SUMMER SONIC 07」以来となる、約6年振りの来日を果たした。
 


 
『The Weight of Your Love』
1. The Weight
2. Sugar
3. A Ton Of Love
4. What Is This Thing Called Love
5. Honesty
6. Nothing
7. Formaldehyde
8. Hyena
9. Two Hearted Spider
10. The Phone Book
11. Bird Of Prey
12.The Sting *
13. A Ton Of Love (Acoustic) *
14. Formaldehyde (Acoustic) * 
*日本盤ボーナストラック

日本オフィシャルサイト>>
アルバム全曲試聴実施中!

 

 

11:21

ゴールド・パンダ、ニュー・アルバムは“君が住んでいる場所の半分”?

2013-06-07


UK出身のビートメイカー、ゴールド・パンダことダーウィン・シュレッカーが、『Lucky Shiner』で世界中の音楽ファンを魅了したのは2010年のこと。あれから3年、“君が住んでいる場所の半分”を意味するニュー・アルバム『Half Of Where You Live』を6月5日にリリースした。MTV Newsでは、4月に来日公演を行ったダーウィンにインタビュー。かつて日本に住んでいたこともあるほどの親日家の彼は、大好きなじゃがりこやポッキーを食べながら、音楽を始めた経緯から待望の新作、そして今後の展望まで、たっぷりと語ってくれた。

―ダーウィンは以前、日本に住んでいたそうですね。日本語も上手だとうかがっていますが。

川崎に住んでいたんだ。EP(『Miyamae』)のタイトルにもした宮前区にね。“ミヤマエ”ってちょっと“マイアミ”と似ているだろう?友だちが鷺沼の近くに住んでいて、空いている部屋を貸してくれたんだ。今から10年ほど前のことだよ。その頃に作ったのが『Miyamae』さ。

―音楽制作はその頃に始めたのですか?

音楽は15歳の頃に作り始めたんだよ。でも日本に居る間も作っていたんだ。

―最初に日本に興味を持ったきっかけは?

「AKIRA」だよ。映画版の方ね。それから漫画も読んだんだ。12歳くらいかな。「ワォ!すごい漫画だな。イギリスの漫画とはどうしてこうも違うんだ」って感動したよ。それをきっかけに日本に夢中になって、日本についていろいろ調べ始めたんだ。そしてワーキング・ホリデーで鷺沼に住んで、英語を教えていた。飲み代を稼ぐためにね。人生で何をしたいか分からなくて、ただ日本に居たって感じ。1年間滞在したよ。それからイングランドに帰国して、1年間大学に通って日本語の勉強をしたんだ。(日本語で)日本語能力試験で2級取りました。

―すごいですね!そういえば、たまに日本語でツイートもされていますよね。15歳で音楽制作を始めたとのことで、2010年にファースト・アルバムをリリースされていますが、真剣に音楽でやっていこうと決めたのはいつ頃だったんですか?

2008年に友人が亡くなったんだ。彼はテクノのミュージシャンだった。僕が音楽を作って送ると、「お前も音楽をやるべきだ」っていつも言ってくれて、でも僕は「いや、僕なんてダメだよ。音楽はやりたくない」って答えていた。でも彼は「そんなことない、お前は良いよ。やるべきだ」って励ましてくれて。それで彼が死んだ後、「もしかしたら彼は正しかったのかも」と思ったんだ。僕はその頃落ち込んでいて、人生で何をしたいのかも分からなかった。でも彼がいつも励ましてくれたから、自分の音楽を気に入ってくれる人がいるかどうか、試してみようという気になった。それで作品をmyspaceにアップしたら、すぐに連絡が来たんだ。だから、彼は正しかったんだ。僕が聞く耳を持たなかっただけでさ。

―亡くなったお友だちがインスピレーションとなって始まったことなんですね。

うん。もし彼が死ななかったら、僕は音楽をやっていなかったかもしれないな…それは言い過ぎだけど、僕は本当にラッキーだったと思う。エレクトロニック・ミュージックが面白くなってきた、ちょうどいいタイミングだったしね。

―エレクトロニック・ミュージックの制作はある意味、孤独な作業になる場合も多いですよね。寝室で独りで制作する人も多いと思うのですが。そんな中で、作品をネットにアップした途端、急に注目を浴びるってどんな気分でしたか?

おかしな気分だったよ。嘘だろって感じだった。詐欺みたいな気分になったよ。

―詐欺みたいな気分?

うん。だって僕は寝室で音楽を作っていただけの、普通の男なんだから。なんでみんな興味があるんだろう、って不思議だった。楽器も演奏できないしね。でもかれこれ3年も続いていて、いまだにライブに呼んでもらっているし、新たに僕を知ってくれる人もいる。だから急に注目されて、レコードを作る段階でものすごくプレッシャーも感じたけど、そのプレッシャーを乗り越えたら、同じような作品を作らなくてもいいんだって気づくことができた。

―期待に応えなければと感じていたんですか?

ずっと「You」みたいなサウンドを作らなければって思っていたんだ。あれが最もヒットしたからね。でも全然違う曲を作った方が、逆にあの曲が引き立つことに気づいた。同じことを繰り返すなんて馬鹿げているって気づいたら、あまり辛くなくなったよ。



―アーティスト名をゴールド・パンダにした理由は?

動物の名前と色を選んで、いろんな組み合わせを考えたんだ。なぜかゴールド・パンダが最後まで残ったんだよ。

―他にはどんなオプションがあったのですか?

ピンク・ウルフとか、ブルー・ジラフとかね(笑)自分がパンダを好きかどうかはよく分からないんだ。パンダは1度だけ上野動物園で見たことがあるんだけど、とても落ち込んでいるように見えた。自分も落ち込みがちだから、それで決まったのかもね。始めた頃は誰も自分のことを真剣にとらえてくれるとは思っていなくて、ドンキホーテで何年も前に買ったパンダの帽子をかぶっていたんだ。でも、人が真剣に聴いていると気づいたとき、「ヤバい、もうこんな帽子かぶっていられないな」って思った。自分の音楽の価値が下がってしまうよ。まあとにかく、割と適当につけた名前だったんだけど、自分の音楽にも合っていると思う。

―そして2010年にリリースしたデビュー・アルバム『Lucky Shiner』は高い評価を受け、賞まで受賞されたんですよね。

まさか「ザ・ガーディアン」紙のファースト・アルバム・アワードに選ばれるなんてね!両親は大喜びしていたよ。トロフィーまでもらえたんだ。レディー・ガガのような成功とは言わないけど、インディーズのエレクトロニック・ミュージックの自主リリース盤としては、かなりの成功だったね。

―ゴールド・パンダの名前が世界中に広まって、ツアーで各国を訪れたわけですが、どのような変化を感じましたか?

僕はそれまで、全てのことに関してネガティブ思考だったんだ。常に最悪の結果を考えるタイプだった。でも、あのアルバムのヒットを境に、自分にも人生でできることがあるように感じることができた。未来について、以前よりも少しポジティブに考えられるようになったんだ。今は家賃も払えるし、両親に借金も返せる(笑)

―ファースト・アルバムはフロア向けの多くのエレクトロニック・ミュージックとは違って、たくさんの感情が詰まった作品のように感じました。あれから3年が経過したわけですが、新作を作るまではどのように過ごしていましたか?

最初は新作をすばやく作りたかったんだ。でもツアーが永遠に続いたんだよ(笑)あまりにいろんなことが起こっていて、新作を作ることができなかった。それでいざ作ろうとなったら、自分が手掛けていたトラックに自信が持てなくて…アルバムらしいサウンドにたどり着くまでに1年ほどかかったんだ。一部の楽曲は去年書いたものだよ。でも、最近作った曲ともうまくフィットすることが分かった。最初はキツかったよ。たとえば「Enoshima」は作った後、ずっと聴き返すことができなかった。価値がないんじゃないかって感じていてね。ヒットしそうな、もっとポップな曲を作らなくては、と感じてしまって、自分の作った曲を聴くことができなかったんだ。でも、他の人を喜ばせることは心配せず、自分の作りたい音楽を作ればいいんだって考えられるようになって、次第に作品が完成していったんだ。

―今作には「Brazil」や、先ほども話に出てきた「Enoshima(江ノ島)」、他にも「My Father In Hong Kong 1961」など、さまざまな国や場所の名前がタイトルに含まれていて、ツアー中に制作したのかと思いました。

僕はツアー中に曲を作ることができないんだ。今作ではパソコンを使っていないしね。全てシーケンサーやドラムマシーンを使って作ったんだ。アルバムの多くのトラックは1日くらいですばやく作った。パソコンの前に座ってアレンジするのが大嫌いだから、録音ボタンを押して、シークエンスを演奏し、マシーンを使って要素を追加していって、1度で完成するんだよ。だから、タイトルに含まれるそれぞれの場所で書いた曲ではないんだけど、常にツアーして旅している中で、いろんな人に出会ったりして受けたインスピレーションが元になっているんだ。半分は空想の世界で、半分は実在する場所だよ。江ノ島は実在するよね、確か(笑)江ノ島は東京から最も近い、逃避行できる場所でしょ?

―今作を作るにあたって、場所をモチーフにした作品にしようと最初から考えていたんですか?

最初は都市の名前をつけた楽曲を並べようと思っていた。でもそれはやり過ぎかなって思って、少し脱線したんだ。よりドリーミーで空想的だった前作と比較して、今作はもっと都市に基づいた作品だと思う。

―前作は感情をベースにした作品という印象でした。

うん。今作はそこまでエモーショナルではなくて、もっとビート主導で、動きをベースにした作品と言えるかもしれないな。「Enoshima」は音を作っている時に、「これって江ノ島っぽいサウンドだな」と思って作ったんだよ。



―アルバム・タイトルの『Half Of Where You Live』の意味は?

ツアーを回っていると、飛行機を降りて、現地の人が少しだけ街を案内してくれて、ホテルに到着し、ディナーに連れて行ってもらって、それからライブをして、翌朝には朝ご飯を食べて次の都市へと向かう。各都市で18時間くらいのスナップショットのような体験を繰り返すんだ。現地の人に会って、「来てくれて本当にありがとう」って感謝してもらえて。それがツアーの良いところだよ。その反面で、僕はいまだに世界中を飛び回っていて、最近でも1ヶ月は家を空けている。もう家でリラックスすることすらできなくなってしまった。音楽を作っていないと罪悪感が沸いてくるし、常に旅をしてスケジュールをこなすのに慣れてしまって、じっとしていられないんだ。

―今はベルリンに住んでいるそうですが、アルバムにはベルリンに関する曲は入っていますか?

「An English House」がそうだよ。あれは世界中を旅する中での静養についての曲なんだ。僕はベルリンの家でもイギリス料理を食べたり、イギリスのテレビ番組をネットで観たりしている。故郷の小さなものが恋しくなるんだよね。あまりにいろんな場所を旅して、たくさんのことを体験していると、そういった逃避が必要になるんだよ。ベルリンに住むことで、ハウスやテクノをたくさん聴いて、音楽的には大きな影響を受けている。もっとシンプルでストレートなサウンドを作りたいという気分になったよ。今作でも余分なレイヤーは除いて、よりシンプルなサウンドを作る勇気をもらったよ。

―「Junk City II」や「My Father In Hong Kong 1961」には、アジアっぽいテクスチャーが感じられますね。

香港には行ったことがないんだけど、軍隊に入っていた父親が1961年に行って、今でも恋しがる場所なんだ。僕はB級映画だとか、90年代のアジアに関するドキュメンタリーのサントラっぽい音を作りたかった。西洋人が考えそうな、典型的なサウンドをね(笑)

―タランティーノみたいですね(笑)

そうそう!僕は典型的なオリエンタルっぽいサウンドのレコードを持っているんだけど、アジア人が作ったものは1つもないんだよ。西洋人が作った典型的なシンセサイザーのサウンドさ。でもそういった曲が大好きなんだ。だからあの2曲では、そういったサウンドを作ってみようと思った。

―「The Most Liveable City」(=最も住みやすい街)であなたがイメージしていた場所は?曲の冒頭には「今日の気分は?落ち込んでない?」っていう女性の声が聞こえますね。

実はあれは彼女の声なんだ。僕は落ち込んでいて、彼女は家族とペルーに行っていたんだけど、スカイプでの会話を録音したんだよ。ちょうどその時、僕はペルーのジャングルに関する番組を観ていて、偶然にもその音も入っている。「The Most Liveable City」は「Junk City II」の対極にある曲で、どちらも同じサンプルを使用しているんだけど、あまりに違うから聴いても気づかれないと思う。

―あなたにとっての“最も住みやすい街”はどこですか?

分からないんだ。お金持ちをターゲットにした「Monaco」って雑誌を読んでいたら、『最も住みやすい街25」っていう記事があって、面白いなと思って。「住みやすい」基準は公園の数だとか、どれだけ自然があるか、交通手段だとか、犯罪だとかね。その記事によると、スイスのチューリッヒが最も住みやすいらしいよ。東京も11位とかだったと思う。あと福岡と京都も入っていたかな。僕は最も住みやすい街が知りたいし、そこに住みたいんだ。

―世界中を旅していても見つかりませんか?

いろんな場所に行ったけど、まだ分からないよ。ロンドンに住んでいた頃はあの街が大嫌いだったけど、住んでいない今になって、また住みたいと思うんだけどね。

―今作はエレクトロニック・ミュージックでありながら、アウトドアで聴いても気持ちいいのではないかと感じました。あなたはどのような環境で聴いてもらいたいですか?

電車の中かな。窓の外を見ながらね。運転中とか、どこかへ旅している途中に聴いたらいいかも。僕にとっても移動中のサウンドトラックは大切だし。今作ではドラムマシーンを使って、パーカッシブな要素を取り入れたから、曲に動きが生まれたんだと思うんだ。アルバム全体としては、今作の方が前作よりも満足しているよ。今作は前作よりもストーリー性があって、方向性がしっかりしている。

―東京での生活にもぴったりだと思います。

そうだね、みんな電車に乗っているもんね(笑)今回は東京と大阪でプレイするけど、もっといろんな場所をツアーしてみたいんだ。日本に住んではいたけど、あまりいろんなところへ行かれなかったんだよね。九州にも行ったことがないし!




4月に開催された東京公演にて。

―今後の予定は?


ゴールド・パンダとして、もう1枚アルバムを作りたい。今作で気に入っている要素を保ちつつ、全く違った作品にしたいんだ。

―過去にはたくさんのリミックスも手掛けていましたが、最近手掛けているアーティストや興味のあるアーティストはいますか?

今まではいろいろ手掛けてきたけど、これからは本当に信じられるものしかやりたくない。僕の問題は、他人とうまく仕事ができないこと。自分で全てをコントロールしたいんだ(笑)それに何か良いものができたとき、共有するのが嫌なんだ…だから新しいアルバムは作りたいけど、全部自分でやりたい。既に大きな計画があるんだけど、その全ての側面を自分でコントロールしたいんだ。

―次回は3年も待たずに新作を聴くことができますか?

そう願うよ!ツアーがどれだけ続くかにもよるけどね。今回は前回よりも早くツアーを切り上げたいな。


Interview + Text: Nao Machida
Live Photo: TEPPEI




ゴールド・パンダ
英エセックスのチェルムズフォード出身で現在は独ベルリンに住むゴールド・パンダは、UKのインディ・レーベル、Wichitaがマネージメントとして手掛けるアーティストで、過去に日本に数年住んでいたこともあり、日本語の読み書きもできる。2009年に『Miyamae』『Quitters Raga』『Before』といったシングルをリリースし頭角を現し、2010年3月には初の来日公演を敢行、4月には先のシングルをまとめた日本オリジナル編集アルバム『コンパニオン』で日本デビューを果たした。2010年10月にはシミアン・モバイル・ディスコのジェイムス・ショーがミックスを担当したデビュー・アルバム『ラッキー・シャイナー』をリリース。彼の長年の活動が凝縮されたこのアルバムは大きな評価を獲得。年末には各媒体の年間ベスト・アルバムの1枚に選ばれ、英ガーディアン紙の「ガーディアン・ファースト・アルバム・アウォード2010」の獲得に至った。その後、ゴールド・パンダは世界中をツアー。2011年にはDJ Kicksのコンピレーションをリリース。2013年3月、海外では4曲入りでリリースされた『Trust EP』に5曲を追加収録した日本企画盤『イン・シーケンス』をリリース。4月にはスター・スリンガーをゲストに迎えて来日公演が行われた。




『Half Of Where You Live』
01. Junk City II
02. An English House
03. Brazil
04. My Father In Hong Kong 1961
05. Community
06. S950
07. We Work Nights
08. Flinton
09. Enoshima
10. The Most Liveable City
11. Reprise
12. HERON POND PART 1*
13. HERON POND PART 2*
14. CANCEL SHOWS*
15. INDIAN LOW TECH START UP*

*日本盤ボーナス・トラック


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12:00

リトル・ブーツが帰ってきた!4年ぶりのニュー・アルバムを語る

2013-05-30
デビュー前から「BBC Sound of 2009」で第1位に選出され、2009年にアルバム『Hands』でデビューするやいなや、瞬く間にスターダムに駆け上がったリトル・ブーツこと、ヴィクトリア・ヘスケス。その妖精のようなルックスでここ日本でも注目を集めた彼女が、実に4年ぶりとなるニュー・アルバム『Nocturnes』をリリースした。MTV Newsでは、先日プロモーション来日したヴィクトリアをインタビュー。今回初めて自身のレーベルから発表するアルバムに込めた想いを聞いた。



—久しぶりの来日ですね。

実は昨年もDJしに来日していたのよ。でも短い滞在だったの。今回はニュー・アルバムを引っさげて来日できてうれしいわ。前作からしばらく経つし、以前から日本には良い絆を感じていたの。

—あなたがアルバムを発表するというニュースに、日本のファンも喜んでいるようです。

それはうれしいわね!時間が経ってしまったから、忘れられてしまったのではないかと心配していたの。日本のキッズは最新の流行に敏感でしょう?私なんか忘れて、新しいJ-POPバンドに夢中になっているのかも、って心配したわ(笑)でも来日してからツイッターでつぶやいていたら、日本語でたくさんのリアクションがあったの。うれしかったわ。

—ファースト・アルバムから4年が経ちましたが、その間はどのように過ごされていたのですか?

興味深い日々だったわ。目まぐるしいほどに忙しかった、ファースト・アルバムをリリースした頃とは違った意味でね。ここ数年もツアーは続けていたし、DJとしても活動していたの。それに曲作りをして、ニュー・アルバムをレコーディングしていた。だから私にとっては忙しい日々だったけど、世間の人からしたらおとなしいと思われていたのかもね。アルバムは思ったよりも時間がかかってしまったの。新たな方向性に関してレーベルと意見が合わなかったりして、もどかしかったこともあるし、辛い時もあったわ。でも、前作よりも良い作品を作ることができたし、とても私的で素直なアルバムなのよ。

—時間を費やした価値があったわけですね。

ええ、そう思うわ。半分の時間で完成できたら良かったと思うけど、でも同じような作品にはならなかったと思う。それに最近の音楽はものすごい速さで作られているものも多くて、聴いていて十分な時間をかけなかったんじゃないかなと感じるの。ベッドルームでパソコンを使って、パパッと作ったんじゃないかなって。だから、きちんと音楽を作ることが重要だったわ。私たちは本当に素晴らしいスタジオで、全ての音や曲に時間をたっぷりとかけてレコーディングしたの。それが聴く人にも伝わると思うわ。

—あなたは幼い頃はクラシック音楽を学び、その後、ロック・バンドにいたこともあるそうですね。

クラシック・ピアノは5歳から習っていたわ。ロック・バンドにもいたし、ジャズ・バンドにもいたし…とにかく音楽が大好きだったの。10代の頃は、自分にとって何がいいのか見つけるのに時間がかかったわ。特にエレクトロニック・ミュージックに関しては、何も知らなかったしね。16歳で初めてシンセサイザーを買った時は、電源の入れ方も分からなかったのよ(笑)でも、全ては良い勉強だったし、さまざまな音楽を知ることも良かったと思う。私はとにかく良い曲が好き。良い曲はどんなジャンルでも通用すると思うの。

—デビュー前から「BBCサウンド・オブ・2009」に選ばれるなど、“話題の新人”でしたね。デビュー・アルバム『Hands』をリリースした頃のことを、どのように覚えていますか?

すごいプレッシャーだったわ。たくさんの人から期待を寄せられていて、それに答えなければならなかったの。自分が望むように作品を仕上げるための十分な時間もなかった。あのアルバムを誇りに思っているし、良い作品だと思うけど、アーティストがさまざまな方向に引っ張られているのが聴き取れると思うの。だからこそ、今作はまとまりのある作品にしたかったし、明確なビジョンや方向性を決めて、同じスタジオでレコーディングしたのよ。

—ちょうどデビュー当時は、レディー・ガガやラ・ルーなど、たくさんの女性アーティストが出てきた頃ですよね。

ええ、みんなは私にレディー・ガガになってほしかったんじゃないかな(笑)当時の私は否定的で、女の子でエレクトロニック・ミュージックをやっているからってひとくくりにしてほしくなかった。私たちはみんなユニークなんだから、って。でも振り返ると、あれはポップ・シーンにおけるエキサイティングな時期だったのかもね。少なくとも今のUKは、とても保守的でつまらないもの。早くもっと面白いシーンに戻るといいんだけど。

—そんなデビュー・アルバムでの経験を経て、ニュー・アルバムを作るにあたって最も大切にしたことは何でしたか?

ファースト・アルバムからはかなり時間が経っているし、私も成長したと思う。以前よりもずっと自分に自信があるし、さまざまな決断をする上で、自信を持つことは大切なの。間違った判断をしたら、自分を責めるしかないから。自分で全てをコントロールして、本当に作りたいアルバムを作ることができるのは素晴らしいことだし、今回は全く妥協しなかったわ。これだけ時間が経っているだけに、ファンが4年待つ価値のある良い作品を期待していることは分かっていたしね(笑)それは新しい形のプレッシャーだった。だからこそ、名作と思われるような作品を作りたかったの。

—今作ではDFAレコードの創設者、ティム・ゴールズワーシーをプロデューサーに迎えたそうですね。

そうなの!彼はたくさんの名作をプロデュースしてきた人だし、DFAも大好きだったから、一緒に仕事ができて最高だった。

—どのようなきっかけで彼がプロデュースすることになったのですか?

私はヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアのアンディ・バトラーと一緒に曲を作ったことがあって、ティムはアンディの最初のアルバムをプロデュースしたの。アンディの最初のアルバムが大好きだったし、ぜひ一緒にやりたいと思った。マネージャーがティムのことを知っていたから会うことになったんだけど、緊張したわ。私のことなんて相手にしてくれないんじゃないか、ただのおバカなポップ・シンガーだと思われているんじゃないか、ってね。でもラッキーなことに、彼は私がミュージシャンであり、ソングライターで、ちゃんとしたアイデアを持っているということを理解してくれた。私をはねつけずに、とても興奮してくれたのよ。これまでにクレイジーなオルタナティブのダンス・レコードもたくさん手掛けてきた人から、彼にとってもエキサイティングな機会となったみたい。お互いが新たな領域に押し出されて、その中間地点で会ったという感じよ。

—ティムとの仕事はいかがでしたか?実際に会ってみてどのような人でしたか?

興味深い人よ(笑)たくさんのアイデアを持っていて、UKのブリストルでマッシヴ・アタックと素晴らしいスタジオをシェアしているの。彼はクレイジーな昔ながらのアナログの機材やシンセサイザーをたくさん持っていて、そこら中にワイヤーが張り巡らされていて、まるで音楽のマッド・サイエンティストっていう感じ。常にそこら中からクレイジーなサウンドが飛び出してきたわ。既に曲は全て書き終えていたから、スタジオ入りしてサウンドやレコーディングだけに集中できたのも良かった。

—すごく楽しそうですね。

ものすごく楽しかったわ。私たちは1ヶ所で6週間かけて、他の人は立ち入り禁止にしてレコーディングしたの。集中するためにね。私にとっては初めてのことだったから、とても良い経験になったわ。ティムがいなければ、こんなに良いアルバムはできなかったと思う。

—『Nocturnes』というタイトルからは夜のイメージが浮かびますが、今作のテーマやコンセプトはありますか?

「Shake」を書いた時に、他のダンス・レコードとは違ったダンス・レコードを作ってみようって思った。ダンス・ミュージックは夜の音楽だと思うし、できあがった曲を聴いたら、どの曲も夜のいろんな瞬間を歌っているなって感じたの。出かけている時だったり、遊びに行く準備をしている時だったり、眠りに落ちている時だったり、踊り狂っている時だったり。とても夜っぽい作品だと感じた。私はここのところDJをたくさんやってきて、夜型人間になっていたしね(笑)それに“ノクターン”はクラシック・ピアノの曲でしょ?子どもの頃ピアノをやっていた私にとっては、ぴったりなタイトルになったわ。

—オープニング・トラックの「Motorway」はまさに夜のイメージですね。街に向かって車を走らせているような。

ええ、その通りよ。10代の頃、イングランド北部のブラックプールっていう小さな街に住んでいたの。
すごく奇妙な雰囲気の街で、イングランドのラスベガスって言われているのよ(笑)私はいつもそこを出て、ロンドンに行きたいと思っていた。ライブを観に行ったり、遊びに行ったり、いつも街へ向かって運転していたの。イギリスの空っぽの道路をね。だから、あの曲は逃避をイメージしているのよ。ロマンティックな逃避ね。

—2曲目の「Confusion」は、レディー・ガガの「Born This Way」を書いたライターと共作したそうですね。

ヤッパ・ローアセンはジュニアシニアのメンバーで、クラシックスの曲も手掛けたことがあって、とにかくクールな人。レディー・ガガのヒット曲を手掛けたといっても、よくいるようなLAの業界人っていう感じではないのよ。音楽に精通しているし、ロックにも詳しいわ。

—アルバムの中で、あなたにとって特別な1曲はありますか?

「Broken Record」は「Stuck on Repeat」(ファースト・アルバム収録曲)の続編というイメージだから、ファースト・シングルにして良かったと思っているわ。ダークでディスコっぽい感じが気に入っているの。次のシングルは多分「Crescendo」になると思うわ。

—夏にピッタリの曲ですよね。

うん、その通りよ。フェスティバルとかで披露するのにいいんじゃないかなって思っているの。私は「Strangers」も大好き。サウンドを作るのにたくさんの時間を費やした曲だし、アバっぽいところもあるよね(笑)

—ライブで新曲を聴くのも楽しみです。以前はステージでテノリオンを使用していましたね。

実は今、都内の大学の学生と一緒に新しい楽器を作っているところなの。ポコポコっていうんだけど、テノリオンと似たようなプログラミングで、でももっと3Dなの。いろんな色のライトがついて、動きもあって、サウンドとシンクロするのよ。プログラミングすると、全ての曲で違った色のライトがつくの。視覚的にとてもかっこいいのよ。

—どのように日本の大学の学生を見つけたのですか?

誰かがネットで見つけて情報を送ってくれたの。テノリオンを使っていたから、そういうものに興味があると思われているみたいでね。それで彼らに連絡を取って、メールでやりとりしながら作っていったの。まだ未完成なんだけど、完成させるにはもっと費用が必要なのよね。もし都内でライブをすることがあれば、もしかしたら一緒にコラボレーションできるかもしれないわ。いまだかつてない音と視覚の融合を観てもらえると思う。誰か実現することに興味を持ってくれる人がいればね(笑)

—話は変わりますが、先日「ローリング・ストーン」誌で、ダフト・パンクが「現在のエレクトロニック・ミュージックは安全地帯にあって、1インチも動かない」と語っているのを読みました。「曲を聴いても“誰の曲だ?”という感じで、特徴がない」ので、「アイデンティティ・クライシス」だと。最近のダンス・シーンについて、あなたはどう思いますか?

完全に同意だわ。クレイジーよね。個性が全くないんだもの。ダンス・ミュージックにだって、個性はありえるのよ。ダフト・パンクはニュー・アルバムでたくさんのアーティストとコラボレートしたって聞いたわ。特定のサウンドを得るために、世界中のスタジオを回ったそうよ。奇妙な音を得るためだけに、3本もマイクを用意したりね。彼らは曲を作る上でデジタルで済ますことはせず、時間をかけているの。サウンドを作ることで個性が生まれるんだと思うわ。ユニークさを生み出すことで、差別化できるの。デヴィッド・ゲッタやカルヴィン・ハリスの素晴らしい曲が1曲ずつあったとしても、そこには10〜20曲の悪質なコピーが存在するのよ。そのせいでダンス・ミュージックの評価が落ちるんだと思う。

—最近はラップトップで作られる音楽が多いので、あなたの今回のアルバムは新鮮ですね。

誰もが同じソフトを使って音楽を作っているから、エレクトロニック・ミュージックがどれも似たように聴こえてしまうんだと思うの。私たちは全ての曲を古いアナログのシンセサイザーを使ってレコーディングして、ユニークなサウンドを生み出したわ。デジタルのシンセサイザーでは無理なのよね。みんなが新鮮に感じてくれたらうれしいな。

—日本ではファッション・アイコンとしても人気ですが、今回の来日中にチェックしたいものはありますか?

ちょっとだけ買い物したけれど、時間があまりないの。朝早起きして原宿に行こうかと思っているわ。裏道に入るとお店がたくさんあったりして、楽しいわよね。全てが自分のサイズだということも気に入っているわ。靴もぴったりよ!でも買い物する時間がなくて良かったかも。きっと何千倍も買い物してしまったと思うわ。いつも日本に来ると、原宿ガールみたいな格好で帰国するのよ。

—日本のファンにメッセージをお願いします。

ドウモアリガトゴザイマス。日本にいると、みんなから理解されるように感じるし、強い絆を感じているわ。だからみんなの応援にはとても感謝しているの。何度でも来日したいわ!

Interview + Text: Nao Machida

リトル・ブーツ
英ランカシャー出身の女性エレクトロポップ・シンガーソングライター。デビュー前から「BBC SOUND of 2009」で第1位に選出され、YouTubeで公開した名立たるアーティストのカバーが話題となる中、09年にアルバム・デビュー。全英5位(ゴールドディスク獲得)、オーストラリア4位など、世界中で大ヒットし瞬く間にスターダムに駆け上がる。サマソニ'09、単独公演で来日している。



『Nocturnes』
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Shake
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Crescendo
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