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トラヴィス、5年ぶりのニュー・アルバム『Where You Stand』を語る

2013-08-14
1996年のデビュー以来、レディオヘッドやオアシスらと並んでUKロック・シーンを牽引してきたスコットランド・グラスゴー出身の4人組バンド、トラヴィスが、約5年ぶり通算7枚目となる待望のオリジナル・アルバム『Where You Stand』をリリースした。バンドはアルバムの発売に先駆け、6月に4年ぶりの来日を実現。東京・恵比寿ガーデンホールにて開催された「Hostess Club Weekender」に出演した。MTV Newsはバックステージにて、ライブ直前のバンドを直撃。フロントマンのフラン・ヒーリィとベースのダギー・ペインに、アルバムやミュージックビデオの制作秘話を聞いた。



—前回の来日から4年ぶりですね。日本のファンは首を長くして待っていました。

フラン・ヒーリィ(Vo): 随分と経ってしまったね。この4年の間に、僕らは父親になったんだよ。

—全員ですか?

ダギー・ペイン(B): 全員!

フラン: そして、1年半ほど前からカジュアルに曲作りを始めた。アルバムだとか、具体的な話は抜きにしてね。

—締切りは設定しなかったのですか?

フラン: うん、決めたくなかったんだ。初めてロンドンに来た頃、あれは確か…17年前だ!

ダギー: ジーザス!

フラン: (笑)むかーし昔、遥か彼方の銀河系からロンドンにやって来た頃、僕らはただ集まって、良い曲を作ろうとしていただけだった。もちろん、いつかアルバムを作りたいとは思っていたけどね、だから今回も、あの頃のような純粋な気持ちで曲を作ろうと思ったんだ。

ダギー: それに今の僕らは、とてもラッキーな立ち位置にいる。特定の会社やレコード・レーベルに対する責任もなく、時に友だちに手伝ってもらったりして、好きにやることができるからね。たとえばナイジェル・ゴッドリッチとか、ちょこちょこ手伝ってもらったよ。

—フランの手書きのメモでアルバムの完成が発表された時、日本のファンも大喜びでした。前作から5年が経過していますが、今回はなぜじっくりと時間を費やそうと考えたのですか?

フラン: 特に決めてはいなかったんだ。2009年にツアーから戻って、それは過去最高のツアーと言えるほどのものだった。そんなツアーが終わって、僕らは何の計画や予定もないまま「じゃあ、またね」って別れたんだ。ありがたいことに、成功は欲しいものを何でも与えてくれる。つまり、子どもと過ごす時間を与えてくれるんだよ。もし一緒に過ごさなかったら、子どもたちは大きくなってしまうからね。その時間は2度と取り戻せないだろう。だから僕らは、何よりも大切なことに時間を費やそうと決めたんだ。

—とても素敵なことですね。

フラン: 次第に少しずつ曲作りは始めたけれど、特に集中して取り組んでいるわけではなかった。1週間ほど1ヶ所で集まったら、数ヶ月は離れて過ごし、また1週間どこかで会って、数ヶ月が過ぎて…最終的にかなりの量の楽曲が手元に揃っていたけど、それでもスタジオ入りした時点では、アルバムができるかどうか確信はしていなかった。でもレコーディングを始めたらすぐにワクワクして、「これは良い作品になりそうだね」ってことになったんだ。

—フランは現在ベルリン在住だそうですが、他のメンバーはどこに住んでいるのですか?

ダギー: アンディはリバプールに住んでいて、ニールはランカスター、僕はグラスゴーとニューヨークを行ったり来たりしている。

—みんなバラバラなんですね。どこで集合するのですか?

ダギー: このアルバムは面白いことに、世界中のいろんな場所で作ったんだよ。最初のセッションはロンドン、2度目はベルリン、3度目はイングランド南部、それからニューヨークに行って、再びベルリンに行って…そんな感じで、そこら中で作ったんだ。

—ソングライティング・ツアーといった感じですか?

ダギー: そうだね(笑)かなりグローバルなアルバムだよ。

フラン: それに今回の曲作りでは…僕らは23歳でロンドンに引越したんだけど、26歳の時に有名になって、バンドが突然ビッグになった。そういうことが起こると、いろんなものを失ってしまうんだ。急に10年後の未来まで早送りされたような状態で、気づけば自分の中の残されたものをかき集めている自分自身がいて…もしこれまでの全てがなかったら、僕らは普通の仕事をして、大人になって、変わっていっただろう。誰もが成長と共に変わるものだからね。大人になり、子どもを持って、自分の子ども時代を少しだけ手放すんだ。今回のレコーディングでは、大人として、父親としてのお互いをよく知る機会になった。でも、18歳の頃に出会った仲間は永遠に18歳のままなんだって、すぐに気づくんだけどね(笑)

ダギー: すぐに18歳の自分たちに戻ってしまうんだよね。クリスマスに地元に帰ると、10代の頃の自分に返ってしまうようにさ(笑)

—曲作りは世界中で行ったとのことですが、レコーディングはどこで行ったのですか?

ダギー: 大半はノルウェーのオーシャン・サウンドという素晴らしいスタジオでレコーディングした。北海の沿岸にあるんだよ。11月だったから凍えるほど寒かったけど、とても美しかった。人里離れた場所だったから、アルバムだけに集中することができたしね。あと数曲は、ベルリンのハンサ・スタジオでレコーディングした。世界的に有名なスタジオで、素晴らしかったよ。

—集まると18歳に戻ってしまうという4人ですが、レコーディングで何か面白い思い出はありますか?

ダギー: レコーディングの最高の思い出は、ノルウェーで「Moving」という曲を録っていた時のこと。フランが高音を歌うのに苦戦していたんだ。「この高音を出すにはアドレナリンが必要だ」って言い出して(笑)

フラン: パバロッティだって、時にアドレナリンを必要としたそうだ。

ダギー: アドレナリンを得るために僕らにあったのは、凍るほど冷たい海だけだった。そこでフランは、スタジオを飛び出して服を脱ぎ捨て、海に飛び込んだんだ!

フラン: 気温は7度で、水はものすごく冷たかったよ…僕は2分半ほど海の中で過ごし、ビーチを駆け上がってスタジオに戻り、高音を歌ったんだ。

ダギー: 海から飛び出てスタジオに舞い戻り、真っ直ぐにボーカル・ブースへ走ってきたよ。全ては映像に記録してある(笑)

フラン: 僕のことを笑う彼らも映っているんだ。

—すごいですね(笑)高音は無事に歌えたのですか?

フラン: うまくいったよ。

ダギー: 氷の風呂が効いたんだ(笑)

—フランはレコーディングでも自分を痛めつけていたようですが、「Where You Stand」のミュージックビデオを観て、「また自虐的になっている!」と思ってしまいました。顔面にケーキをぶつけられたり、逆さ吊りのまま落とされたり…

ダギー: ほんとだ(笑)

フラン: つまりは、こういうことだと思うんだ。人は面白いことに、他人が痛めつけられるのを見るのが好きなんだと思うんだよね。

—“罪深き楽しみ”ということですか

フラン: まさに。昔、日本のテレビ番組で「ザ・ガマン」ってあったでしょ?子どもの頃、よく観ていたんだよね。

—UKでも放送されていたんですか!?

フラン: うん、僕らはいつもあの番組を観ていて、あれが日本の第1印象なんだ(笑)

ダギー: そうそう、あれが最初に日本に触れた瞬間だった(笑)

—あの番組ですか…

フラン: 大好きだったんだ。すごい面白いと思っていたよ(笑)

ダギー: 人が痛めつけられたり、失敗したりする姿を見たいっていうのは、人間の自然な衝動なんだと思う。ネットでもそういう動画は人気でしょ?そういうものに引きつけられちゃうんだよね。

—だからフランは、いつも自分を痛めつけているわけですか(笑)

ダギー: そういうこと!

フラン: がんばってるよ。この状況は、いつかは変わるはずだ。実は今回はアンディに主演を務めてもらおうと思っていたんだけど、みんなが「ダメダメ、お前がやらなきゃ」って。

—過去のミュージックビデオでも、ハンプティ・ダンプティに扮したり(「Coming Around」)、殺されかけたり(「Walking in the Sun」)、何時間も腕立て伏せしたり(「Turn」)…

フラン: 崖から飛び降りたり…(「Why Does It Always Rain On Me」)

ダギー: 石を投げつけられたり…(「Writing to Reach You」)

フラン: 僕に何も起きないビデオはないのかね。

ダギー: 「Sing」は?

フラン: 「Sing」は全員真っ白だったね。ちなみに今までで最悪のビデオは、「Beautiful Occupation」だったな。

ダギー: うわ、あれはサイアクだった。

フラン: まるで拷問だったよ。ひどいビデオだ。僕らは小さな部屋に押し込まれたんだ。あの撮影で重病になってもおかしくないと思ったよ。

ダギー: (笑)

フラン: 本当だよ。こんな小さな部屋に入れられて、30人くらいが周りでスプレーを使ってグラフィティを描いていたんだから。通気口のない密封された部屋で!「これは健康に悪いだろ」って思ったのを覚えているよ。僕ら以外は全員ガスマスクしていたんだよ!あれはひどかったね…

—あのビデオはそんな状況で撮影されたんですね…話は「Where You Stand」に戻りますが、アルバムの表題曲でもあるタイトルに込められた意味は?

フラン: ダギーが書いたから、ダギーに説明してもらおう。

ダギー: あの曲はずっと書き続けていた曲で、最終的にXTCのアンディ・パートリッジの娘でソングライターのホーリー・パートリッジとのライティング・セッションで完成したんだ。彼女は素晴らしいよ。あの曲を聴かせて「今いち先に進めないんだよね」って話したら、手伝ってくれた。ノルウェーでフランも一緒に完成させたんだ。

フラン: 違うよ、お前が偶然この曲を流していたんだよ。

ダギー: そうだっけ?

フラン: 何だか美しい曲が聴こえてきて、「誰の曲?」って聞いたら、ダギーが「僕の曲なんだけどね」って。

ダギー: それで手伝ってもらって、リリックを完成させたんだ。決して何が起こっても、人間関係は保つ価値があるっていうことを歌っている。友情であれ、恋愛であれ、家族であれ、バンドであれ、どんな関係でもね。何があっても一緒にいることが大切なんだ。

—とても美しい曲ですよね。

フラン: うん、とてもね。僕は1度決めたら覚悟するタイプだから、なおさら共感できるよ。最近は退屈だからとかいう理由で、簡単に別れてしまう人が多いように思う。でも、他の誰かと一緒に何かを乗り越える経験って、大切だと思うんだよね。

ダギー: 間違いないね。完璧を求める人が多いけど、完璧なんてありえないよ。完璧な人間関係なんて存在しない。そこには必ず山や谷があるんだ。最近は受け入れる前に諦めてしまう人が多いよね。だからこの曲では、困難を乗り越えて一緒にいることの大切さを歌っているんだ。

—ライブで聴くのも楽しみです。

フラン: 僕も!

ダギー: (笑)

フラン: 実はこの曲ではギターを弾いていないから、マイクを持って自由に歌えて、シンガーとしてうれしいんだ(笑)



—それから、この取材の前に「Another Guy」のミュージックビデオも観ました。すごく可笑しかったです!

2人: (笑)

フラン: 友人のヴォルフガング・ベッカーと作ったんだけど、彼こそがビデオの中の“アナザー・ガイ”なんだ。ヴォルフガングはとても有名なドイツ人の映画監督で、映画『グッバイ、レーニン!』を手掛けたんだよ。

—あの“アナザー・ガイ”は、『グッバイ、レーニン!』の監督だったんですか!?

ダギー: 彼がビデオの“アナザー・ガイ”だなんて、びっくりだよね(笑)

—名演技でしたね!

フラン: そうなんだ。ヴォルフガングはものすごく良い役者だからこそ、最高の監督なんだ!彼とはベルリンで友だちなんだけど、ビデオに出演することになった理由は、僕が車を貸してほしいって電話したから。そしたら「何に使うの?」って言うから、「ビデオを作るんだよね。合成用のグリーンスクリーンを持っている人を知らない?」って聞いたら、「それじゃだめだよ、ちゃんとやらなきゃ」って。「でもヴォルフガング、僕らはVHSのカメラで撮影するんだよ…」って言ったよ(笑)そしたら、「ちょっとプロデューサーに何本か電話させるから、折り返す」って。それで最終的に、めちゃくちゃドデカいスタジオで撮影することになったんだ!グリーンスクリーンもあってね。

ダギー: ジェームズ・ボンドの映画でも撮るのかよ、って感じだったよ(笑)

フラン: しかも手伝ってくれたのは、ユルゲン・ユルゲスっていう世界的に有名な撮影監督なんだ。過去にマイケル・ファスベンダー監督やヴィム・ヴェンダース監督なんかとも仕事をしてきたような人だよ。72歳の白髪の彼が、VHSカメラで撮影してくれたんだ(笑)

ダギー: 80年代みたいだよね(笑)

フラン: すごく楽しかったよ。

ダギー: 彼らもあのビデオを制作するのをすごく楽しんでくれたんだ。

—どうしてアルバムに先駆けて、「Another Guy」をリリースしようと決めたのですか?

フラン: ビデオのアイデアが浮かんだからかな(笑)あの曲かアルバム1曲目の「Mother」にしようと思ったんだけど、どうしてもビデオのアイデアが浮かばなくて。「Another Guy」は良いアイデアが浮かんだから決めたんだ。トラヴィスはこれまでも愉快なビデオを作ってきただろう?だから、あのビデオにしたんだ。

—フィルムといえば、フランは先日、ヴィム・ヴェンダース監督に初めて会ったそうですね。トラヴィスのバンド名は、監督の名作『パリ、テキサス』(1984)の主人公の名前から取ったそうですが、初めて会ってみていかがでしたか?

フラン: 遂にバンドに名前を与えてくれた人と会うことができて、本当に感激だったよ。

—監督はそのことを知っていたのですか?

フラン: 知っていたんだ!とても優しい人だった。ベルリンでうちの近所に住んでいるんだよ。毎日家の前を通るんだ。これからは家の前に立って、出待ちするよ(笑)

ダギー: 偶然のフリしてね。

フラン: 「やあ、ヴィム」って。「げ、またこいつかよ」って思われるだろうね(笑)とにかく彼はとても良い人だったよ。とてもラブリーな人だった。僕はスターに会って舞い上がってしまった。

—先ほどもおっしゃったように、トラヴィスは17年間ずっと同じメンバーで活動されています。メンバーが脱退したり、解散したりするバンドも多いですが…

フラン: いっぱい目撃してきたよ…

ダギー: いっぱいね…

—なぜトラヴィスは、ずっと一緒に続けてこられたのだと思いますか?

ダギー: 離れている時間を持つことを大切にしているからだと思う。距離を置いて、リフレッシュして、それぞれがいろんな経験をすることをね。ツアーやレコーディングで常に一緒にいると、全員が同じ経験をするだろう?そうすると画一化された情報や経験を得ることになって、それはちょっと窮屈になりかねないんだ。だから、離れた時間を持つことが大切なんだよ。

フラン: そこで再び話は「Where You Stand」に戻るけど、一緒にいることが大切なんだよ。諦めないで、一緒に居続けるんだ。その方が面白いしね。ファンの立場からしても、たとえばR.E.M.からビル・ベリーが脱退した時、それはもうそれまでのR.E.M.ではなくなってしまったよね。

ダギー: ああ、1人でも抜けるとサウンドが変わるだけでなく、メンバー間に生じるケミストリーが変わってしまって、別物になってしまうんだ。オアシスの初代ドラマー、トニー・マッキャロルが脱退した時だって、その後のサウンドは決して同じものではなかった。最初に存在した奇妙な原子エネルギー的なものが、1つの粒子がなくなったことで、薄れてしまうんだ。



—トラヴィスはこれからもずっと音楽を作り続けますか?

フラン: そう願うよ。

ダギー: そう願うね。今後しばらくは、ライブをたくさんやる予定だけどね。

フラン: でも、僕らは同時に曲も書いているんだよ。

—今回はイベントへの出演でしたが、また単独ツアーで戻ってきてくださいますか?

フラン: イエス。

ダギー: 絶対に戻って来るよ!

フラン: 僕らはまた日本に来ることを、すごく楽しみにしているんだ。今回はこのイベントに招待してもらって、「最高!」って思った。しばらく来日していなかったからね。



—最後に日本のファンにメッセージをお願いします。

フラン: 日本のファンのみんな、長い間来日していなくてごめんね。でも今夜のライブや今後のライブで、必ず埋め合わせをすると約束するよ。僕らが制作を楽しんだのと同じくらい、みんながニュー・アルバムを楽しんでくれるといいな。

ダギー: 次の来日までに、4年も経たないように注意するよ(笑)

—ぜひお願いします!

フラン: 今度は3年半かな(笑)

ダギー: (笑)


Interview + Text: Nao Machida
Live Photo: Kokei Kazumichi




トラヴィス:
スコットランドはグラスゴー出身、レディオヘッドやオアシス、コールドプレイと並び英国を代表するロック・バンド。1997年『Good Feeling』でアルバム・デビュー。99年にナイジェル・ゴドリッチをプロデューサーに迎えたセカンド・アルバム『The Man Who』で全英チャートの1位を獲得すると、全世界で約400万枚のセールスを記録。続くサード・アルバム『Invisible Band』(2001年)は全英チャート初登場1位、全世界で約300万枚を売り上げ、UKトップ・バンドとしての地位を確実なものとした。03年に4th『12 Memories』、04年にベスト・アルバム『Singles』、07年に5th『The Boy with No Name』をリリース。08年には自身たちのレーベル<レッド・テレフォン・ボックス>から6th『Ode to J. Smith』を発表、大きな話題を呼んだ。13年、約5年ぶり通算7枚目となる待望のオリジナル・ニュー・アルバム『Where You Stand』をリリース。




『Where You Stand』
1. Mother
2. Moving
3. Reminder
4. Where You Stand
5. Warning Sign
6. Another Guy
7. A Different Room
8. New Shoes
9. On My Wall
10. Boxes
11. The Big Screen
12. Anniversary*
13. Parallel Lines*
14. Ferris Wheel*
*日本盤ボーナストラック

オフィシャルサイト(英語サイト)>>
公式ニュースサイト>>
期間限定で『Where You Stand』全曲試聴実施中!

15:00

エディターズに聞く、新作『The Weight of Your Love』までの道のり

2013-07-02

2002年のデビュー・アルバムが全英アルバム・チャートで2位を獲得。その後、マーキュリー・プライズにノミネートされ、セカンド・アルバムとサード・アルバムでは全英1位を獲得するなど、輝かしいキャリアを歩んできたエディターズが、6月に開催されたライブ・イベント「Hostess Club Weekender」出演のため、実に6年ぶりの来日を果たした。

前回の来日後、ギタリストのクリスとの別れ、そして新メンバーのジャスティンとエリオットとの出会いを経験していた彼らは、先日待望のニュー・アルバム『The Weight of Your Love』をリリース。キングス・オブ・レオンやトム・ウェイツの作品を手掛けたジャックワイア・キングをプロデューサーに迎え、イングランドを飛び出してアメリカ・ナッシュビルでレコーディングされた、よりストレートなロック・アルバムだ。MTV Newsは、バックステージでフロントマンのトムとベーシストのラッセルをインタビュー。エディターズのここまでの道のりをじっくりと語ってもらった。



―前回の来日から実に6年ぶりですね。

トム: そんなに?

ラッセル: うん。

トム: そっか、そうだね。残念ながら3枚目のアルバムをリリースした後、来日することができなかったから。

ラッセル: ああ。

トム: それに僕らは、ちょっとドラマティックな数年間を過ごしていたから、4枚目のアルバムを制作するのに予定よりも時間がかかってしまってね。だから長いこと日本にも来られなかったけど、またこうして新たなラインアップで来日できてうれしいよ。日本で再スタートを切るような気分だ。

―前回の来日後、ギタリストのクリスが脱退して、新メンバーのエリオットとジャスティンが加入したそうですね。

トム: うん、クリスが脱退する瞬間まで、それはとても辛い時期だったよ。決して一晩で起こったことではなく、1年以上の間の出来事だったんだ。新曲のリハーサルをして、レコーディング・セッションをして、中断して…4人のクリエイティブなエナジーが停止するのを感じるのは怖かった。最初の3枚のアルバムでは、1度も同じことを繰り返しているような気分にはならなかったし、自分たちのやっていることに興奮しないことなんてことはなかったんだ。でも、急にエキサイティングではなくなってしまった。とてもダークな日々で、時間が経つにつれ、もう続けることは無理だと感じた。あれは恐ろしかったよ。

それでも、クリス抜きで前進することを決意して…それはもちろんとても辛い決断だった。だけど決意して、新メンバーがライブでサポートしてくれるようになり、レコーディングにも参加してくれるようになったら、突然それまでとは状況が変わったんだ。メンバー同士でコミュニケーションを取って、いろんなアイディアを交換できて、最高だった。すぐにとてもエキサイティングに感じることができたし、そのエナジーのおかげで、今の僕らはここに居るんだと思う。レコードが完成して、今こうして君と話すことができるなんてね。今夜のライブは、新しいラインアップでレコードを作ってから、初めてのステージなんだ。新生エディターズは、まさに今夜スタートするんだよ。

―ニュー・アルバムを聴く限り、ジャスティンとエリオットの加入は、バンドにとってポジティブな結果をもたらしてくれたようですね。

トム: ありがとう!

―彼らがエディターズに加入した経緯は?

ラッセル: ベルギーのフェスティバルへの出演が決定していたのだけど、その前にクリスが脱退することが決まってしまって、ライブをサポートしてくれる人が必要になったんだ。僕らは代理のギタリストを1人入れるのではなく、2人入れたいと思っていて、それであの2人が入ったんだよ。

―2人のことは前から知っていたのですか?

ラッセル: 過去にエリオットのバンドとツアーをしたことがあったから、彼が良いミュージシャンだということは分かっていた。ジャスティンはプロデューサーのフラッドに推薦してもらったんだよ。フラッドが以前にジャスティンとレコーディングしたことがあって、エディターズに合うんじゃないか、って。彼は正しかったよ。

―これまでリリースした3作が大ヒットした上、新たなラインアップで新作を制作するということで、プレッシャーは2倍だったのではないかと想像しますが。

トム: (笑)実際は新メンバーが入ってきたことによる、エキサイティングな気持ちの方が大きかったよ。あとはホッとした、って感じかな。これからも自分たちが夢中になれるような作品を作れるんだ、と思ってね。もちろん、これまで通りの活動を続けられたらいいけど、とにかく自分たちが誇りに思えるようなレコードを作ることが大切なんだ。それにもう4枚目だからね。プレッシャーを感じるかどうかは、自分で選択できる。自分たちは新作をとても気に入っているし、それを気に入ってくれる人がいればいいな、と思う。

―曲作りはクリスが在籍中にスタートしたのですか?

トム: 楽曲の3分の2はクリスとフラッドと手掛けて、レコーディングもしたんだ。一部の曲は2度も3度もレコーディングした。でもうまくいかなくて…クリスだけでなく、フラッドともね。楽曲自体は良いと思っていたのだけど、それに対して自分たちのやっていたことが良くなかったんだ。

―より実験的だった前作と比較して、今作はストレートなロック・アルバムで、曲のパワーを感じました。それでいて深みのある作品だと感じましたが、5ピースになった今、曲作りのプロセスに変化はありますか?

ラッセル: もちろん。新たに2人も加入したんだからね。普段はトムが詞とベーシックなコードを書いて、みんなで集まって、そこからどこへ広げられるかを考えるんだ。主にギターを演奏するジャスティンと、キーボードとギターを演奏するエリオットが入ったことで、どこに何が合うのか、何が強くて何が強くないのかを考える必要があった。みんなで部屋に集まって曲作りができたのは良かったよ。たくさんのアイディアが飛び交っていた。

―バンド内のコミュニケーションも以前より良かったそうですね。

トム: そうなんだ。クリスとは決してケンカをしたわけではなく、ただ4人で進むことができなくなってしまった。その時点で、バンド内に会話はなくなっていたし、新しいことを試すようなオープンな空気でもなかった。でも新しい5人のラインアップになったら、急にディスカッションできるようになったんだ。考えることも楽にできるようになった。それは簡単そうでいて、長い間、僕らにはできなかったことだったんだ。とても解放感があったし、エキサイティングだったよ。

―ジャスティンとエリオットがバンドにもたらした最高のことは何だと思いますか?

トム: エリオットの強みは彼の声かな。彼のバックボーカルをレコードに入れることは、僕らにとって新しい挑戦だった。これまでで最高のバックボーカルだったよ。それはパレットに追加された新たな色となった。

ジャスティンは言うまでもなく素晴らしいギタリストで、クリスとは違う、彼独自のスタイルで演奏するんだ。僕らも彼のスタイルが大好きだよ。それに彼はクリエイティブなエナジーやアイディアをたくさん持っている。リハーサル・ルームに、ギターの演奏以上のたくさんのことを持ち込んでくれるんだ。クリエイティブな面で、彼は思考を止めることができないタイプなんだよ(笑)彼のようにアイディア豊富な人がいるって、うれしいものだよ。

―エディターズに加入するなんて、2人は緊張していたのではないですか?

ラッセル: ビビッてたよ(笑)明らかにナーバスだった。でも、ミュージシャンも普通の人間だからね。

トム: ああ、普通の人間なんだ。

ラッセル: 僕らはね。モリッシーのバンドにでも加入すれば、話は違うかもしれないけど。

トム: (笑)

ラッセル: 僕らは大歓迎するよ。



―ニュー・アルバムはアメリカのナッシュビルでレコーディングしたそうですね。イングランド以外でレコーディングするのは初めてだったそうですが、どのような経験になりましたか?特にナッシュビルはとてもアメリカ的な街ですし、イングランドとは全く違った環境だと思うのですが。

トム: 全然違ったよ。

ラッセル: とても音楽的な町なんだ。

トム: バーベキューの匂いがするんだよ(笑)

ラッセル: プロデューサーのジャックワイア・キングが、ナッシュビルのブラックバード・スタジオをベースに活動しているから行ったんだよ。彼がデモを聴いて、僕らと仕事をしたいと言ってくれてね。素晴らしいスタジオだったし、僕らはチャンスに飛びついたよ。

―どのくらいの期間、滞在していたのですか?

トム: 6週間だよ。全員が普段の生活から逃避して、アルバムに没頭する上で、それは重要な時間だった。新生バンドとして活動するわけだし、一緒にレコードを作るだけでなく、私的にも互いをよく知る必要があったからね。ロンドンとか日常生活に近い場所でレコーディングしていたら、1日の終わりにはそれぞれが家にバラバラに帰ることになる。でもナッシュビルでは常に近くにいたからね。

それに、そこは僕らにとって奇妙な場所だった。文化的にも全く違った場所だし、ニューヨークやLAだってイングランドとは違うのに、ナッシュビルはなおさら違ったよ。ナッシュビルの人たちは僕らのイギリス英語を聞くと驚くんだ。とてもフレンドリーだし、歓迎してくれたよ。南部の町だし、オールドスクールで、僕らにとってはとても興味深かった。

―家を借りていたのですか?

トム: うん、郊外で一緒に暮らしていたんだ。毎日スタジオまで車で通っていた。

―まさにアメリカ生活ですね。最大のカルチャーショックは何でしたか?

ラッセル: アメリカ人のプロデューサーやエンジニアと仕事するのが初めてだったから、それが最大の違いだったかな。

―イギリス人とはどのように違うのですか?

トム: コミュニケーションが違ったね。特にジャックワイアは、楽曲やパフォーマンスの中から感情を聴き出したいタイプのプロデューサーなんだ。だからそういった感情を引き出すには、僕らと会話をする必要がある。でもイギリス人は、感情的な話は避けたいんだよね。多くのアメリカ人はセラピストがいて、何でも話したがるみたいだけど。あれは違和感あったな。お互いに納得できるコミュニケーションの方法を確立するまで、少しギクシャクしたよ。僕らが十分に深く話さないから、ジャックワイアはイライラしていたし、僕らは僕らで、「なんでこんなこと話さなきゃいけないんだ?」って彼にイライラしていた。「仕事だけしてくれよ」って(笑)

―(笑)最終的には慣れましたか?

トム: お互いの中間地点に落ち着くことができたよ。

―文化だけでなく、風景や何から何まで真新しかったと思いますが、環境の変化がサウンドに影響を与えたことはありますか?ナッシュビルで新たなインスピレーションを受けましたか?

ラッセル: 現地でブルーグラスの演奏を聴きに行ったよ。あまりはまらなかったけどね(笑)でもカントリーやウェスタンだけでなく、ロックンロールもたくさん耳にする町なんだ。ジャック・ホワイトのサード・マン・レコードもあるし、ザ・ブラック・キーズもいるしね。スタジオで過ごす時間が多かったけど、楽器やアンプも素晴らしかったよ。それにジャックワイアやエンジニアの仕事ぶりも非常にプロフェッショナルだった。

―ジャックワイア・キングは、キングス・オブ・レオンやトム・ウェイツ、ノラ・ジョーンズら、多くのビッグネームの作品を手掛けていますが、彼との仕事はいかがでしたか?

トム: コミュニケーション問題以外は素晴らしかったよ(笑)それもそんなに頻繁ではなかったしね。彼は多くのプロデューサーと比較して細かいことにうるさくないし、複雑でもない。ただ最高のパフォーマンスを求めているだけさ。

―ストレートな方なんですか?

トム: そうだよ。彼はバンドとしての僕らの良さを引き出してくれたように思う。僕らはリハーサルをたくさんして、久しぶりにすごくバンド感を得ることができた。基本的には、彼に曲を聴かせて、感情のこもった最高のものを出す、という作業だったんだ。複雑にしすぎず、時には余計なものをそぎ落とすことも恐れないっていうことを学んだよ。それは、これまでは怖くてできなかったことだった。ストリングスとボーカルだけとか、アコースティック・ギターだけとかね。自分をさらけ出すことを恐れない、という意味では勇気が出たかな(笑)

―ジャックワイアによる最大の貢献は?

ラッセル: 彼はとてもピュアな楽曲を求める人。各メンバーに与えられたパートがあって、それ以上のレイヤーをたくさん重ねる必要はないんだ。正しい感情がそこにある限りね。それができていれば、彼は満足なんだ。

トム: それに彼は最高のカクテルを作ってくれた。

ラッセル: そうだね、最高だった(笑)テキーラがうまかったな。

―タイトル『The Weight of Your Love』に込められた意味は?

トム: 特にテーマを決めていたわけではないんだけど、曲作りを始めて4、5曲書いた時点で、ほとんどの曲のタイトルや歌詞に“Love”が入っていることに気づいた。アルバムを通して、1人の人からもう1人の人へ歌っていて、世界がどうであろうが気にしない、より私的な世界観が広がっていた。再びラブ・ソングを書き始めたという意味でも、“Love”がトピックになっている。ロマンティックでハッピーな愛だけでなく、愛がいかに人を傷つけ、破壊するかという側面も書いたよ。『The Weight of Your Love』というタイトルは、1曲目の「The Weight」から取った。そのフレーズが全ての楽曲で伝えようとしていることを表しているように思ったんだ。

―楽曲は実体験をもとに書かれたのですか?

トム: そうでもあるし、そうでもないね。決して日記というわけではなく、でも、もちろん、自分の経験を元にした感情や気持ちも入っている。だけどそれと同じくらい、曲作りをするときは想像力を働かせるようにしているんだ。語り手になりきって、無我夢中になることを恐れずにね。中にはゆがんだ、ストーカー的なラブ・ソングもあるけど、僕はそういうタイプではないよ。少なくとも表面的にはね(笑)

―収録曲「What Is This Thing Called Love」は、トムがオーディション番組「Xファクター」の挑戦者のために書いたという話は本当ですか?

トム: 当時のレーベルが、その年の「Xファクター」の優勝者のアルバムを企画していたんだ。担当者はたくさんのアーティストに楽曲提供を依頼していたんだけど、僕には依頼してこなくて、嫉妬していた(笑)「なんで僕には頼まないんだよ?」ってムカついてさ。それであの曲を書いて送ったら、「オーマイガッド、素晴らしいね」って言われた。

 だから「What Is This Thing Called Love」は、採用を検討されるような曲が書けるかを試したくて書いた曲なんだ。そのおかげで、エディターズのことは考えずに、いつもとは違う思考回路で書くことができた。そして、ソングライターとして、自分の中から新たなものを引き出すことができたんだ。担当者は気に入ってくれたんだけど、企画自体が流れてしまってね。それでメンバーに聴かせたら、みんなが気に入ってくれて、最終的にはアルバムに収録することになった。

―収録されて良かったです。

トム: ありがとう!とてもストレートな曲なんだ。これまではギターやシンセが何層にも重なって、隠された要素がある曲が多かった。この曲はとてもストレートでメロディアスだし、僕は初めてファルセットで歌っている。とても良い曲に仕上ったように思うよ。

―サウンド面ではホーンセクションが取り入れられていたり、より深みを感じられました。その一方で、「The Phone Book」のような、シンプルなギターの曲も良かったです。サウンド面で特にこだわったことはありますか?

トム: ストリングスは最初の段階から考えていたんだ。自分たちの大好きな、たとえば(R.E.M.の)『Automatic for the People』のようなレコードでも使われていた、トラディショナルなツールだからね。それがこだわった部分の1つかな。

ラッセル: そうだね。

トム: ほかにもいろいろあるよ。アコースティック・ギターをあそこまで前面に出したことも初めてだったし。それもやってみたかったことなんだ。

―このアルバムを制作するにあたって、最大のチャレンジは何だったと思いますか?

ラッセル: スタジオでは必ず曲の方向性が分からなくなる、厄介な瞬間が訪れる。でも、良い曲ができるという自信を持つ必要があるんだ。「Nothing」のような曲は扱いにくかったよ。既にライブで何度か演奏していて、反応が良かったんだけど、僕らはバンドとしてあまり満足できていなかったんだよね。だから僕らは…

トム: ビジネス面での決断を強いられた。

ラッセル: そう、ビジネス面での決断をね(笑)それでメンバーは全員排除したんだ。

トム: (笑)

ラッセル: ストリング・アレンジメントを入れることにした。でも、その方が曲に合っていた。それに「The Phone Book」とか他の何曲かでも、いくつか違ったバージョンがあったんだ。でもスタジオで演奏すると、すぐに“お気に入り”が見つかったよ。

トム: 僕にとってはボーカルが最大のチャレンジだったな。意図的に幅を広げたことは、最もタフなことだった…“タフ”は大げさかな(笑)歌うということに対する精神的なアプローチに、若干の調整が必要だった、という感じだよ。

―新生エディターズは、今後どのように活動していきたいですか?

トム: まだこの5人になって1年も経っていないんだ。スタートしたら、アルバムがすごい速さで完成したからね。新しいことを始めるというのは、常にエキサイティングなことだよ。大々的なプランはないけど、バンドとして再びクリエイティブなことができて、興奮しているんだ。

―今後の予定は?

ラッセル: 来年にはツアーでまた日本に来られたらいいね。でも、前回もそう言ったんだよな…。

トム: 6年前にね(笑)

ラッセル: 今度は絶対に戻ってきたいよ!

―日本のファンにメッセージをお願いします。

トム: ずっと来日しなくてごめんね。

ラッセル: ニュー・アルバムを気に入ってくれるといいな。また来日すると約束したいよ(笑)

―トムも同じ気持ち?

トム: もちろん!こんなに長い間戻って来られなくてごめん。またみんなに会えることを楽しみにしているよ!


Photo: Matt Spalding
Interview + Text: Nao Machida


 

エディターズ

5人組の英ロックバンド。2005年のデビュー・アルバム『The Back Room』は、英国の最も栄誉ある音楽賞のマーキュリー・プライズにノミネートされ、全英チャート2位を獲得。07年の2作目『An End Has a Start』、09年の3作目『In This Light And On This Evening』はそれぞれ全英チャート1位を獲得。13年6月「Hostess Club Weekender」出演のため、「SUMMER SONIC 07」以来となる、約6年振りの来日を果たした。
 


 
『The Weight of Your Love』
1. The Weight
2. Sugar
3. A Ton Of Love
4. What Is This Thing Called Love
5. Honesty
6. Nothing
7. Formaldehyde
8. Hyena
9. Two Hearted Spider
10. The Phone Book
11. Bird Of Prey
12.The Sting *
13. A Ton Of Love (Acoustic) *
14. Formaldehyde (Acoustic) * 
*日本盤ボーナストラック

日本オフィシャルサイト>>
アルバム全曲試聴実施中!

 

 

11:21

ゴールド・パンダ、ニュー・アルバムは“君が住んでいる場所の半分”?

2013-06-07


UK出身のビートメイカー、ゴールド・パンダことダーウィン・シュレッカーが、『Lucky Shiner』で世界中の音楽ファンを魅了したのは2010年のこと。あれから3年、“君が住んでいる場所の半分”を意味するニュー・アルバム『Half Of Where You Live』を6月5日にリリースした。MTV Newsでは、4月に来日公演を行ったダーウィンにインタビュー。かつて日本に住んでいたこともあるほどの親日家の彼は、大好きなじゃがりこやポッキーを食べながら、音楽を始めた経緯から待望の新作、そして今後の展望まで、たっぷりと語ってくれた。

―ダーウィンは以前、日本に住んでいたそうですね。日本語も上手だとうかがっていますが。

川崎に住んでいたんだ。EP(『Miyamae』)のタイトルにもした宮前区にね。“ミヤマエ”ってちょっと“マイアミ”と似ているだろう?友だちが鷺沼の近くに住んでいて、空いている部屋を貸してくれたんだ。今から10年ほど前のことだよ。その頃に作ったのが『Miyamae』さ。

―音楽制作はその頃に始めたのですか?

音楽は15歳の頃に作り始めたんだよ。でも日本に居る間も作っていたんだ。

―最初に日本に興味を持ったきっかけは?

「AKIRA」だよ。映画版の方ね。それから漫画も読んだんだ。12歳くらいかな。「ワォ!すごい漫画だな。イギリスの漫画とはどうしてこうも違うんだ」って感動したよ。それをきっかけに日本に夢中になって、日本についていろいろ調べ始めたんだ。そしてワーキング・ホリデーで鷺沼に住んで、英語を教えていた。飲み代を稼ぐためにね。人生で何をしたいか分からなくて、ただ日本に居たって感じ。1年間滞在したよ。それからイングランドに帰国して、1年間大学に通って日本語の勉強をしたんだ。(日本語で)日本語能力試験で2級取りました。

―すごいですね!そういえば、たまに日本語でツイートもされていますよね。15歳で音楽制作を始めたとのことで、2010年にファースト・アルバムをリリースされていますが、真剣に音楽でやっていこうと決めたのはいつ頃だったんですか?

2008年に友人が亡くなったんだ。彼はテクノのミュージシャンだった。僕が音楽を作って送ると、「お前も音楽をやるべきだ」っていつも言ってくれて、でも僕は「いや、僕なんてダメだよ。音楽はやりたくない」って答えていた。でも彼は「そんなことない、お前は良いよ。やるべきだ」って励ましてくれて。それで彼が死んだ後、「もしかしたら彼は正しかったのかも」と思ったんだ。僕はその頃落ち込んでいて、人生で何をしたいのかも分からなかった。でも彼がいつも励ましてくれたから、自分の音楽を気に入ってくれる人がいるかどうか、試してみようという気になった。それで作品をmyspaceにアップしたら、すぐに連絡が来たんだ。だから、彼は正しかったんだ。僕が聞く耳を持たなかっただけでさ。

―亡くなったお友だちがインスピレーションとなって始まったことなんですね。

うん。もし彼が死ななかったら、僕は音楽をやっていなかったかもしれないな…それは言い過ぎだけど、僕は本当にラッキーだったと思う。エレクトロニック・ミュージックが面白くなってきた、ちょうどいいタイミングだったしね。

―エレクトロニック・ミュージックの制作はある意味、孤独な作業になる場合も多いですよね。寝室で独りで制作する人も多いと思うのですが。そんな中で、作品をネットにアップした途端、急に注目を浴びるってどんな気分でしたか?

おかしな気分だったよ。嘘だろって感じだった。詐欺みたいな気分になったよ。

―詐欺みたいな気分?

うん。だって僕は寝室で音楽を作っていただけの、普通の男なんだから。なんでみんな興味があるんだろう、って不思議だった。楽器も演奏できないしね。でもかれこれ3年も続いていて、いまだにライブに呼んでもらっているし、新たに僕を知ってくれる人もいる。だから急に注目されて、レコードを作る段階でものすごくプレッシャーも感じたけど、そのプレッシャーを乗り越えたら、同じような作品を作らなくてもいいんだって気づくことができた。

―期待に応えなければと感じていたんですか?

ずっと「You」みたいなサウンドを作らなければって思っていたんだ。あれが最もヒットしたからね。でも全然違う曲を作った方が、逆にあの曲が引き立つことに気づいた。同じことを繰り返すなんて馬鹿げているって気づいたら、あまり辛くなくなったよ。



―アーティスト名をゴールド・パンダにした理由は?

動物の名前と色を選んで、いろんな組み合わせを考えたんだ。なぜかゴールド・パンダが最後まで残ったんだよ。

―他にはどんなオプションがあったのですか?

ピンク・ウルフとか、ブルー・ジラフとかね(笑)自分がパンダを好きかどうかはよく分からないんだ。パンダは1度だけ上野動物園で見たことがあるんだけど、とても落ち込んでいるように見えた。自分も落ち込みがちだから、それで決まったのかもね。始めた頃は誰も自分のことを真剣にとらえてくれるとは思っていなくて、ドンキホーテで何年も前に買ったパンダの帽子をかぶっていたんだ。でも、人が真剣に聴いていると気づいたとき、「ヤバい、もうこんな帽子かぶっていられないな」って思った。自分の音楽の価値が下がってしまうよ。まあとにかく、割と適当につけた名前だったんだけど、自分の音楽にも合っていると思う。

―そして2010年にリリースしたデビュー・アルバム『Lucky Shiner』は高い評価を受け、賞まで受賞されたんですよね。

まさか「ザ・ガーディアン」紙のファースト・アルバム・アワードに選ばれるなんてね!両親は大喜びしていたよ。トロフィーまでもらえたんだ。レディー・ガガのような成功とは言わないけど、インディーズのエレクトロニック・ミュージックの自主リリース盤としては、かなりの成功だったね。

―ゴールド・パンダの名前が世界中に広まって、ツアーで各国を訪れたわけですが、どのような変化を感じましたか?

僕はそれまで、全てのことに関してネガティブ思考だったんだ。常に最悪の結果を考えるタイプだった。でも、あのアルバムのヒットを境に、自分にも人生でできることがあるように感じることができた。未来について、以前よりも少しポジティブに考えられるようになったんだ。今は家賃も払えるし、両親に借金も返せる(笑)

―ファースト・アルバムはフロア向けの多くのエレクトロニック・ミュージックとは違って、たくさんの感情が詰まった作品のように感じました。あれから3年が経過したわけですが、新作を作るまではどのように過ごしていましたか?

最初は新作をすばやく作りたかったんだ。でもツアーが永遠に続いたんだよ(笑)あまりにいろんなことが起こっていて、新作を作ることができなかった。それでいざ作ろうとなったら、自分が手掛けていたトラックに自信が持てなくて…アルバムらしいサウンドにたどり着くまでに1年ほどかかったんだ。一部の楽曲は去年書いたものだよ。でも、最近作った曲ともうまくフィットすることが分かった。最初はキツかったよ。たとえば「Enoshima」は作った後、ずっと聴き返すことができなかった。価値がないんじゃないかって感じていてね。ヒットしそうな、もっとポップな曲を作らなくては、と感じてしまって、自分の作った曲を聴くことができなかったんだ。でも、他の人を喜ばせることは心配せず、自分の作りたい音楽を作ればいいんだって考えられるようになって、次第に作品が完成していったんだ。

―今作には「Brazil」や、先ほども話に出てきた「Enoshima(江ノ島)」、他にも「My Father In Hong Kong 1961」など、さまざまな国や場所の名前がタイトルに含まれていて、ツアー中に制作したのかと思いました。

僕はツアー中に曲を作ることができないんだ。今作ではパソコンを使っていないしね。全てシーケンサーやドラムマシーンを使って作ったんだ。アルバムの多くのトラックは1日くらいですばやく作った。パソコンの前に座ってアレンジするのが大嫌いだから、録音ボタンを押して、シークエンスを演奏し、マシーンを使って要素を追加していって、1度で完成するんだよ。だから、タイトルに含まれるそれぞれの場所で書いた曲ではないんだけど、常にツアーして旅している中で、いろんな人に出会ったりして受けたインスピレーションが元になっているんだ。半分は空想の世界で、半分は実在する場所だよ。江ノ島は実在するよね、確か(笑)江ノ島は東京から最も近い、逃避行できる場所でしょ?

―今作を作るにあたって、場所をモチーフにした作品にしようと最初から考えていたんですか?

最初は都市の名前をつけた楽曲を並べようと思っていた。でもそれはやり過ぎかなって思って、少し脱線したんだ。よりドリーミーで空想的だった前作と比較して、今作はもっと都市に基づいた作品だと思う。

―前作は感情をベースにした作品という印象でした。

うん。今作はそこまでエモーショナルではなくて、もっとビート主導で、動きをベースにした作品と言えるかもしれないな。「Enoshima」は音を作っている時に、「これって江ノ島っぽいサウンドだな」と思って作ったんだよ。



―アルバム・タイトルの『Half Of Where You Live』の意味は?

ツアーを回っていると、飛行機を降りて、現地の人が少しだけ街を案内してくれて、ホテルに到着し、ディナーに連れて行ってもらって、それからライブをして、翌朝には朝ご飯を食べて次の都市へと向かう。各都市で18時間くらいのスナップショットのような体験を繰り返すんだ。現地の人に会って、「来てくれて本当にありがとう」って感謝してもらえて。それがツアーの良いところだよ。その反面で、僕はいまだに世界中を飛び回っていて、最近でも1ヶ月は家を空けている。もう家でリラックスすることすらできなくなってしまった。音楽を作っていないと罪悪感が沸いてくるし、常に旅をしてスケジュールをこなすのに慣れてしまって、じっとしていられないんだ。

―今はベルリンに住んでいるそうですが、アルバムにはベルリンに関する曲は入っていますか?

「An English House」がそうだよ。あれは世界中を旅する中での静養についての曲なんだ。僕はベルリンの家でもイギリス料理を食べたり、イギリスのテレビ番組をネットで観たりしている。故郷の小さなものが恋しくなるんだよね。あまりにいろんな場所を旅して、たくさんのことを体験していると、そういった逃避が必要になるんだよ。ベルリンに住むことで、ハウスやテクノをたくさん聴いて、音楽的には大きな影響を受けている。もっとシンプルでストレートなサウンドを作りたいという気分になったよ。今作でも余分なレイヤーは除いて、よりシンプルなサウンドを作る勇気をもらったよ。

―「Junk City II」や「My Father In Hong Kong 1961」には、アジアっぽいテクスチャーが感じられますね。

香港には行ったことがないんだけど、軍隊に入っていた父親が1961年に行って、今でも恋しがる場所なんだ。僕はB級映画だとか、90年代のアジアに関するドキュメンタリーのサントラっぽい音を作りたかった。西洋人が考えそうな、典型的なサウンドをね(笑)

―タランティーノみたいですね(笑)

そうそう!僕は典型的なオリエンタルっぽいサウンドのレコードを持っているんだけど、アジア人が作ったものは1つもないんだよ。西洋人が作った典型的なシンセサイザーのサウンドさ。でもそういった曲が大好きなんだ。だからあの2曲では、そういったサウンドを作ってみようと思った。

―「The Most Liveable City」(=最も住みやすい街)であなたがイメージしていた場所は?曲の冒頭には「今日の気分は?落ち込んでない?」っていう女性の声が聞こえますね。

実はあれは彼女の声なんだ。僕は落ち込んでいて、彼女は家族とペルーに行っていたんだけど、スカイプでの会話を録音したんだよ。ちょうどその時、僕はペルーのジャングルに関する番組を観ていて、偶然にもその音も入っている。「The Most Liveable City」は「Junk City II」の対極にある曲で、どちらも同じサンプルを使用しているんだけど、あまりに違うから聴いても気づかれないと思う。

―あなたにとっての“最も住みやすい街”はどこですか?

分からないんだ。お金持ちをターゲットにした「Monaco」って雑誌を読んでいたら、『最も住みやすい街25」っていう記事があって、面白いなと思って。「住みやすい」基準は公園の数だとか、どれだけ自然があるか、交通手段だとか、犯罪だとかね。その記事によると、スイスのチューリッヒが最も住みやすいらしいよ。東京も11位とかだったと思う。あと福岡と京都も入っていたかな。僕は最も住みやすい街が知りたいし、そこに住みたいんだ。

―世界中を旅していても見つかりませんか?

いろんな場所に行ったけど、まだ分からないよ。ロンドンに住んでいた頃はあの街が大嫌いだったけど、住んでいない今になって、また住みたいと思うんだけどね。

―今作はエレクトロニック・ミュージックでありながら、アウトドアで聴いても気持ちいいのではないかと感じました。あなたはどのような環境で聴いてもらいたいですか?

電車の中かな。窓の外を見ながらね。運転中とか、どこかへ旅している途中に聴いたらいいかも。僕にとっても移動中のサウンドトラックは大切だし。今作ではドラムマシーンを使って、パーカッシブな要素を取り入れたから、曲に動きが生まれたんだと思うんだ。アルバム全体としては、今作の方が前作よりも満足しているよ。今作は前作よりもストーリー性があって、方向性がしっかりしている。

―東京での生活にもぴったりだと思います。

そうだね、みんな電車に乗っているもんね(笑)今回は東京と大阪でプレイするけど、もっといろんな場所をツアーしてみたいんだ。日本に住んではいたけど、あまりいろんなところへ行かれなかったんだよね。九州にも行ったことがないし!




4月に開催された東京公演にて。

―今後の予定は?


ゴールド・パンダとして、もう1枚アルバムを作りたい。今作で気に入っている要素を保ちつつ、全く違った作品にしたいんだ。

―過去にはたくさんのリミックスも手掛けていましたが、最近手掛けているアーティストや興味のあるアーティストはいますか?

今まではいろいろ手掛けてきたけど、これからは本当に信じられるものしかやりたくない。僕の問題は、他人とうまく仕事ができないこと。自分で全てをコントロールしたいんだ(笑)それに何か良いものができたとき、共有するのが嫌なんだ…だから新しいアルバムは作りたいけど、全部自分でやりたい。既に大きな計画があるんだけど、その全ての側面を自分でコントロールしたいんだ。

―次回は3年も待たずに新作を聴くことができますか?

そう願うよ!ツアーがどれだけ続くかにもよるけどね。今回は前回よりも早くツアーを切り上げたいな。


Interview + Text: Nao Machida
Live Photo: TEPPEI




ゴールド・パンダ
英エセックスのチェルムズフォード出身で現在は独ベルリンに住むゴールド・パンダは、UKのインディ・レーベル、Wichitaがマネージメントとして手掛けるアーティストで、過去に日本に数年住んでいたこともあり、日本語の読み書きもできる。2009年に『Miyamae』『Quitters Raga』『Before』といったシングルをリリースし頭角を現し、2010年3月には初の来日公演を敢行、4月には先のシングルをまとめた日本オリジナル編集アルバム『コンパニオン』で日本デビューを果たした。2010年10月にはシミアン・モバイル・ディスコのジェイムス・ショーがミックスを担当したデビュー・アルバム『ラッキー・シャイナー』をリリース。彼の長年の活動が凝縮されたこのアルバムは大きな評価を獲得。年末には各媒体の年間ベスト・アルバムの1枚に選ばれ、英ガーディアン紙の「ガーディアン・ファースト・アルバム・アウォード2010」の獲得に至った。その後、ゴールド・パンダは世界中をツアー。2011年にはDJ Kicksのコンピレーションをリリース。2013年3月、海外では4曲入りでリリースされた『Trust EP』に5曲を追加収録した日本企画盤『イン・シーケンス』をリリース。4月にはスター・スリンガーをゲストに迎えて来日公演が行われた。




『Half Of Where You Live』
01. Junk City II
02. An English House
03. Brazil
04. My Father In Hong Kong 1961
05. Community
06. S950
07. We Work Nights
08. Flinton
09. Enoshima
10. The Most Liveable City
11. Reprise
12. HERON POND PART 1*
13. HERON POND PART 2*
14. CANCEL SHOWS*
15. INDIAN LOW TECH START UP*

*日本盤ボーナス・トラック


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