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ゴールド・パンダ、ニュー・アルバムは“君が住んでいる場所の半分”?

2013-06-07


UK出身のビートメイカー、ゴールド・パンダことダーウィン・シュレッカーが、『Lucky Shiner』で世界中の音楽ファンを魅了したのは2010年のこと。あれから3年、“君が住んでいる場所の半分”を意味するニュー・アルバム『Half Of Where You Live』を6月5日にリリースした。MTV Newsでは、4月に来日公演を行ったダーウィンにインタビュー。かつて日本に住んでいたこともあるほどの親日家の彼は、大好きなじゃがりこやポッキーを食べながら、音楽を始めた経緯から待望の新作、そして今後の展望まで、たっぷりと語ってくれた。

―ダーウィンは以前、日本に住んでいたそうですね。日本語も上手だとうかがっていますが。

川崎に住んでいたんだ。EP(『Miyamae』)のタイトルにもした宮前区にね。“ミヤマエ”ってちょっと“マイアミ”と似ているだろう?友だちが鷺沼の近くに住んでいて、空いている部屋を貸してくれたんだ。今から10年ほど前のことだよ。その頃に作ったのが『Miyamae』さ。

―音楽制作はその頃に始めたのですか?

音楽は15歳の頃に作り始めたんだよ。でも日本に居る間も作っていたんだ。

―最初に日本に興味を持ったきっかけは?

「AKIRA」だよ。映画版の方ね。それから漫画も読んだんだ。12歳くらいかな。「ワォ!すごい漫画だな。イギリスの漫画とはどうしてこうも違うんだ」って感動したよ。それをきっかけに日本に夢中になって、日本についていろいろ調べ始めたんだ。そしてワーキング・ホリデーで鷺沼に住んで、英語を教えていた。飲み代を稼ぐためにね。人生で何をしたいか分からなくて、ただ日本に居たって感じ。1年間滞在したよ。それからイングランドに帰国して、1年間大学に通って日本語の勉強をしたんだ。(日本語で)日本語能力試験で2級取りました。

―すごいですね!そういえば、たまに日本語でツイートもされていますよね。15歳で音楽制作を始めたとのことで、2010年にファースト・アルバムをリリースされていますが、真剣に音楽でやっていこうと決めたのはいつ頃だったんですか?

2008年に友人が亡くなったんだ。彼はテクノのミュージシャンだった。僕が音楽を作って送ると、「お前も音楽をやるべきだ」っていつも言ってくれて、でも僕は「いや、僕なんてダメだよ。音楽はやりたくない」って答えていた。でも彼は「そんなことない、お前は良いよ。やるべきだ」って励ましてくれて。それで彼が死んだ後、「もしかしたら彼は正しかったのかも」と思ったんだ。僕はその頃落ち込んでいて、人生で何をしたいのかも分からなかった。でも彼がいつも励ましてくれたから、自分の音楽を気に入ってくれる人がいるかどうか、試してみようという気になった。それで作品をmyspaceにアップしたら、すぐに連絡が来たんだ。だから、彼は正しかったんだ。僕が聞く耳を持たなかっただけでさ。

―亡くなったお友だちがインスピレーションとなって始まったことなんですね。

うん。もし彼が死ななかったら、僕は音楽をやっていなかったかもしれないな…それは言い過ぎだけど、僕は本当にラッキーだったと思う。エレクトロニック・ミュージックが面白くなってきた、ちょうどいいタイミングだったしね。

―エレクトロニック・ミュージックの制作はある意味、孤独な作業になる場合も多いですよね。寝室で独りで制作する人も多いと思うのですが。そんな中で、作品をネットにアップした途端、急に注目を浴びるってどんな気分でしたか?

おかしな気分だったよ。嘘だろって感じだった。詐欺みたいな気分になったよ。

―詐欺みたいな気分?

うん。だって僕は寝室で音楽を作っていただけの、普通の男なんだから。なんでみんな興味があるんだろう、って不思議だった。楽器も演奏できないしね。でもかれこれ3年も続いていて、いまだにライブに呼んでもらっているし、新たに僕を知ってくれる人もいる。だから急に注目されて、レコードを作る段階でものすごくプレッシャーも感じたけど、そのプレッシャーを乗り越えたら、同じような作品を作らなくてもいいんだって気づくことができた。

―期待に応えなければと感じていたんですか?

ずっと「You」みたいなサウンドを作らなければって思っていたんだ。あれが最もヒットしたからね。でも全然違う曲を作った方が、逆にあの曲が引き立つことに気づいた。同じことを繰り返すなんて馬鹿げているって気づいたら、あまり辛くなくなったよ。



―アーティスト名をゴールド・パンダにした理由は?

動物の名前と色を選んで、いろんな組み合わせを考えたんだ。なぜかゴールド・パンダが最後まで残ったんだよ。

―他にはどんなオプションがあったのですか?

ピンク・ウルフとか、ブルー・ジラフとかね(笑)自分がパンダを好きかどうかはよく分からないんだ。パンダは1度だけ上野動物園で見たことがあるんだけど、とても落ち込んでいるように見えた。自分も落ち込みがちだから、それで決まったのかもね。始めた頃は誰も自分のことを真剣にとらえてくれるとは思っていなくて、ドンキホーテで何年も前に買ったパンダの帽子をかぶっていたんだ。でも、人が真剣に聴いていると気づいたとき、「ヤバい、もうこんな帽子かぶっていられないな」って思った。自分の音楽の価値が下がってしまうよ。まあとにかく、割と適当につけた名前だったんだけど、自分の音楽にも合っていると思う。

―そして2010年にリリースしたデビュー・アルバム『Lucky Shiner』は高い評価を受け、賞まで受賞されたんですよね。

まさか「ザ・ガーディアン」紙のファースト・アルバム・アワードに選ばれるなんてね!両親は大喜びしていたよ。トロフィーまでもらえたんだ。レディー・ガガのような成功とは言わないけど、インディーズのエレクトロニック・ミュージックの自主リリース盤としては、かなりの成功だったね。

―ゴールド・パンダの名前が世界中に広まって、ツアーで各国を訪れたわけですが、どのような変化を感じましたか?

僕はそれまで、全てのことに関してネガティブ思考だったんだ。常に最悪の結果を考えるタイプだった。でも、あのアルバムのヒットを境に、自分にも人生でできることがあるように感じることができた。未来について、以前よりも少しポジティブに考えられるようになったんだ。今は家賃も払えるし、両親に借金も返せる(笑)

―ファースト・アルバムはフロア向けの多くのエレクトロニック・ミュージックとは違って、たくさんの感情が詰まった作品のように感じました。あれから3年が経過したわけですが、新作を作るまではどのように過ごしていましたか?

最初は新作をすばやく作りたかったんだ。でもツアーが永遠に続いたんだよ(笑)あまりにいろんなことが起こっていて、新作を作ることができなかった。それでいざ作ろうとなったら、自分が手掛けていたトラックに自信が持てなくて…アルバムらしいサウンドにたどり着くまでに1年ほどかかったんだ。一部の楽曲は去年書いたものだよ。でも、最近作った曲ともうまくフィットすることが分かった。最初はキツかったよ。たとえば「Enoshima」は作った後、ずっと聴き返すことができなかった。価値がないんじゃないかって感じていてね。ヒットしそうな、もっとポップな曲を作らなくては、と感じてしまって、自分の作った曲を聴くことができなかったんだ。でも、他の人を喜ばせることは心配せず、自分の作りたい音楽を作ればいいんだって考えられるようになって、次第に作品が完成していったんだ。

―今作には「Brazil」や、先ほども話に出てきた「Enoshima(江ノ島)」、他にも「My Father In Hong Kong 1961」など、さまざまな国や場所の名前がタイトルに含まれていて、ツアー中に制作したのかと思いました。

僕はツアー中に曲を作ることができないんだ。今作ではパソコンを使っていないしね。全てシーケンサーやドラムマシーンを使って作ったんだ。アルバムの多くのトラックは1日くらいですばやく作った。パソコンの前に座ってアレンジするのが大嫌いだから、録音ボタンを押して、シークエンスを演奏し、マシーンを使って要素を追加していって、1度で完成するんだよ。だから、タイトルに含まれるそれぞれの場所で書いた曲ではないんだけど、常にツアーして旅している中で、いろんな人に出会ったりして受けたインスピレーションが元になっているんだ。半分は空想の世界で、半分は実在する場所だよ。江ノ島は実在するよね、確か(笑)江ノ島は東京から最も近い、逃避行できる場所でしょ?

―今作を作るにあたって、場所をモチーフにした作品にしようと最初から考えていたんですか?

最初は都市の名前をつけた楽曲を並べようと思っていた。でもそれはやり過ぎかなって思って、少し脱線したんだ。よりドリーミーで空想的だった前作と比較して、今作はもっと都市に基づいた作品だと思う。

―前作は感情をベースにした作品という印象でした。

うん。今作はそこまでエモーショナルではなくて、もっとビート主導で、動きをベースにした作品と言えるかもしれないな。「Enoshima」は音を作っている時に、「これって江ノ島っぽいサウンドだな」と思って作ったんだよ。



―アルバム・タイトルの『Half Of Where You Live』の意味は?

ツアーを回っていると、飛行機を降りて、現地の人が少しだけ街を案内してくれて、ホテルに到着し、ディナーに連れて行ってもらって、それからライブをして、翌朝には朝ご飯を食べて次の都市へと向かう。各都市で18時間くらいのスナップショットのような体験を繰り返すんだ。現地の人に会って、「来てくれて本当にありがとう」って感謝してもらえて。それがツアーの良いところだよ。その反面で、僕はいまだに世界中を飛び回っていて、最近でも1ヶ月は家を空けている。もう家でリラックスすることすらできなくなってしまった。音楽を作っていないと罪悪感が沸いてくるし、常に旅をしてスケジュールをこなすのに慣れてしまって、じっとしていられないんだ。

―今はベルリンに住んでいるそうですが、アルバムにはベルリンに関する曲は入っていますか?

「An English House」がそうだよ。あれは世界中を旅する中での静養についての曲なんだ。僕はベルリンの家でもイギリス料理を食べたり、イギリスのテレビ番組をネットで観たりしている。故郷の小さなものが恋しくなるんだよね。あまりにいろんな場所を旅して、たくさんのことを体験していると、そういった逃避が必要になるんだよ。ベルリンに住むことで、ハウスやテクノをたくさん聴いて、音楽的には大きな影響を受けている。もっとシンプルでストレートなサウンドを作りたいという気分になったよ。今作でも余分なレイヤーは除いて、よりシンプルなサウンドを作る勇気をもらったよ。

―「Junk City II」や「My Father In Hong Kong 1961」には、アジアっぽいテクスチャーが感じられますね。

香港には行ったことがないんだけど、軍隊に入っていた父親が1961年に行って、今でも恋しがる場所なんだ。僕はB級映画だとか、90年代のアジアに関するドキュメンタリーのサントラっぽい音を作りたかった。西洋人が考えそうな、典型的なサウンドをね(笑)

―タランティーノみたいですね(笑)

そうそう!僕は典型的なオリエンタルっぽいサウンドのレコードを持っているんだけど、アジア人が作ったものは1つもないんだよ。西洋人が作った典型的なシンセサイザーのサウンドさ。でもそういった曲が大好きなんだ。だからあの2曲では、そういったサウンドを作ってみようと思った。

―「The Most Liveable City」(=最も住みやすい街)であなたがイメージしていた場所は?曲の冒頭には「今日の気分は?落ち込んでない?」っていう女性の声が聞こえますね。

実はあれは彼女の声なんだ。僕は落ち込んでいて、彼女は家族とペルーに行っていたんだけど、スカイプでの会話を録音したんだよ。ちょうどその時、僕はペルーのジャングルに関する番組を観ていて、偶然にもその音も入っている。「The Most Liveable City」は「Junk City II」の対極にある曲で、どちらも同じサンプルを使用しているんだけど、あまりに違うから聴いても気づかれないと思う。

―あなたにとっての“最も住みやすい街”はどこですか?

分からないんだ。お金持ちをターゲットにした「Monaco」って雑誌を読んでいたら、『最も住みやすい街25」っていう記事があって、面白いなと思って。「住みやすい」基準は公園の数だとか、どれだけ自然があるか、交通手段だとか、犯罪だとかね。その記事によると、スイスのチューリッヒが最も住みやすいらしいよ。東京も11位とかだったと思う。あと福岡と京都も入っていたかな。僕は最も住みやすい街が知りたいし、そこに住みたいんだ。

―世界中を旅していても見つかりませんか?

いろんな場所に行ったけど、まだ分からないよ。ロンドンに住んでいた頃はあの街が大嫌いだったけど、住んでいない今になって、また住みたいと思うんだけどね。

―今作はエレクトロニック・ミュージックでありながら、アウトドアで聴いても気持ちいいのではないかと感じました。あなたはどのような環境で聴いてもらいたいですか?

電車の中かな。窓の外を見ながらね。運転中とか、どこかへ旅している途中に聴いたらいいかも。僕にとっても移動中のサウンドトラックは大切だし。今作ではドラムマシーンを使って、パーカッシブな要素を取り入れたから、曲に動きが生まれたんだと思うんだ。アルバム全体としては、今作の方が前作よりも満足しているよ。今作は前作よりもストーリー性があって、方向性がしっかりしている。

―東京での生活にもぴったりだと思います。

そうだね、みんな電車に乗っているもんね(笑)今回は東京と大阪でプレイするけど、もっといろんな場所をツアーしてみたいんだ。日本に住んではいたけど、あまりいろんなところへ行かれなかったんだよね。九州にも行ったことがないし!




4月に開催された東京公演にて。

―今後の予定は?


ゴールド・パンダとして、もう1枚アルバムを作りたい。今作で気に入っている要素を保ちつつ、全く違った作品にしたいんだ。

―過去にはたくさんのリミックスも手掛けていましたが、最近手掛けているアーティストや興味のあるアーティストはいますか?

今まではいろいろ手掛けてきたけど、これからは本当に信じられるものしかやりたくない。僕の問題は、他人とうまく仕事ができないこと。自分で全てをコントロールしたいんだ(笑)それに何か良いものができたとき、共有するのが嫌なんだ…だから新しいアルバムは作りたいけど、全部自分でやりたい。既に大きな計画があるんだけど、その全ての側面を自分でコントロールしたいんだ。

―次回は3年も待たずに新作を聴くことができますか?

そう願うよ!ツアーがどれだけ続くかにもよるけどね。今回は前回よりも早くツアーを切り上げたいな。


Interview + Text: Nao Machida
Live Photo: TEPPEI




ゴールド・パンダ
英エセックスのチェルムズフォード出身で現在は独ベルリンに住むゴールド・パンダは、UKのインディ・レーベル、Wichitaがマネージメントとして手掛けるアーティストで、過去に日本に数年住んでいたこともあり、日本語の読み書きもできる。2009年に『Miyamae』『Quitters Raga』『Before』といったシングルをリリースし頭角を現し、2010年3月には初の来日公演を敢行、4月には先のシングルをまとめた日本オリジナル編集アルバム『コンパニオン』で日本デビューを果たした。2010年10月にはシミアン・モバイル・ディスコのジェイムス・ショーがミックスを担当したデビュー・アルバム『ラッキー・シャイナー』をリリース。彼の長年の活動が凝縮されたこのアルバムは大きな評価を獲得。年末には各媒体の年間ベスト・アルバムの1枚に選ばれ、英ガーディアン紙の「ガーディアン・ファースト・アルバム・アウォード2010」の獲得に至った。その後、ゴールド・パンダは世界中をツアー。2011年にはDJ Kicksのコンピレーションをリリース。2013年3月、海外では4曲入りでリリースされた『Trust EP』に5曲を追加収録した日本企画盤『イン・シーケンス』をリリース。4月にはスター・スリンガーをゲストに迎えて来日公演が行われた。




『Half Of Where You Live』
01. Junk City II
02. An English House
03. Brazil
04. My Father In Hong Kong 1961
05. Community
06. S950
07. We Work Nights
08. Flinton
09. Enoshima
10. The Most Liveable City
11. Reprise
12. HERON POND PART 1*
13. HERON POND PART 2*
14. CANCEL SHOWS*
15. INDIAN LOW TECH START UP*

*日本盤ボーナス・トラック


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